お薬師様に祈る | とり課長のとりりなお話

とり課長のとりりなお話

Yahoo!ブログから移転しました。
どうぞよろしくお願いいたします<(_ _)>

もう2週間以上経ってしまいましたが…

久しぶりに西国49薬師霊場を参拝してきました。


京都市西京区の外れ、大原野。

朝早いのもありますが、勝持寺の参道は誰も歩いていません。

 

【西国49薬師 第42番 勝持寺】

勝持寺は京都の西南郊外の大原野に位置し、大原野神社に隣接する。大原野神社の別当寺であった。大原野神社は延暦3年(784年)、長岡京遷都時に、奈良の春日神社(現・春日大社、藤原氏の氏神)の分霊を祀ったものである。

勝持寺は古くから桜の名所として知られ、西行ゆかりの寺として知られるが、創建についてはあまり明らかでない。寺伝では白鳳年間(672年 – 686年)役小角の創建と伝えられる。その後延暦10年(791年)最澄が再興して小塩山大原寺と称し、仁寿年間(851 – 854年)千観によって再興されたという。

応仁の乱で焼失し、天正年間(1573年 – 1592年)に再建された。江戸時代には桂昌院の帰依を受けた。

 

[以上wikiより引用]

お寺に着くと先客が二人ほど。

誰もいない瑠璃光殿の中のご本尊 薬師如来とその胎内仏(ともに重要文化財)を間近に、

ゆっくりとお参りすることができました。

その後は花の寺の境内を散策。

 

西行桜

鳥羽上皇に仕えていた北面の士 佐藤藤兵衛義清が、保延6年(西暦1140年)当寺に於て出家し西行と名を改めて庵を結び、一株の桜を植えて吟愛しておりました。世人はその桜を西行桜と称し、寺を花の寺と呼ぶようになりました。[以上HPより引用]

 

 

 花見んと むれつつ人の くるのみぞ

   あたらさくらの とがにはありける    西行法師

 

※当寺は4/20より拝観を停止しています

 

そして勝持寺の帰りには大原野神社を参拝。

 

春日大社は平城京の東、古来より神山と崇められる御蓋山(みかさやま)の西麓に神護景雲2(768)年に鎮座し、政権を担う藤原氏にとってはまさに王城鎮護、国家鎮護の社でありました。かたや大原野神社は長岡京の西、小塩山の東麓に鎮座し、平安京遷都後も二十二社(にじゅうにしゃ・常に朝廷の殊遇を受けた社で、国家に重大事や天変地異のあるごとに使を遣わされて奉幣を受けた二十二の神社)に列し国家鎮護の社とされました。

古くから政治・方除・知恵の神として、また良縁を授けて下さる女の守護神としての信仰が篤いのです。

[以上HPより引用]

「千眼桜」

満開の期間が3日ほどと言われる幻の桜だそうです。

 

狛犬ならぬ狛鹿。

 

春日大社の参道正面の橋を渡ると正法寺

 

【西国49薬師 第41番 正法寺】

754年(天平勝宝6年)唐から日本へ渡来した智威大徳が修行した坊に始まるとされ、その後延暦年間(782年~806年)最澄がこの地に寺を建立したと伝えられ、弘仁年間(810年~824年)空海が入寺したという。慶長年間(1596年~1615年)戒律の僧志徹が復興し、大原野の出身で江戸幕府5代将軍徳川綱吉の生母桂昌院の帰依を得た。正面の顔以外に両耳の後に脇面を有する、「三面千手観音」と呼ばれる形式の本尊は国の重要文化財。[以上wikiより引用]

 

こちらはご本尊脇のお薬師様にお参りしたあと

石庭を拝見させていただきました。

 

 

お薬師様のご加護によってこのコロナ禍が鎮まりますように…