世界の荒鷲 坂口 征二 さんとお会いしました。往年の大スター ビッグサカ はご覧のように大きかったです。少年の頃からの大ファンなので感激でした!

<プロレス界で最強は誰か?>これはくだらない質問である。なぜならプロレスは興業でありショーだから。プロレスの世界では『うまい』という表現はあっても『強い』という表現は当てはまらない。

それでもあえて『日本最強は?』と聞かれれば、プロレスファンなら坂口 征二の名前をあげるだろう。実力だけでいえば馬場、猪木を超えて最強とも言われた坂口。しかし人の好さがそれを許さなかった。

馬場と猪木は強烈な個性と上昇志向があったが、坂口はそうした欲に欠け、常に一歩引いていた。新日本プロレスではアントニオ猪木の引き立て役に終始し、その後も猪木に翻弄されながら人生を歩むことになる。

もともとは柔道家としてデビューした。

身長197cm、体重128kg という日本人離れした体格で柔道日本一となり、鳴り物入りで日本プロレスに入門。全日本柔道選手権優勝、世界選手権銅メダルなど世界トップクラスの超大物のプロレス転向だった。プロレス転向は当時の柔道界が受けた衝撃は大きく、それはやがてパッシングへと変質した。

しかしプロレス転向には布石があった・・・

今から50年前の1964年。東京五輪において日本のお家芸である柔道はひとつの問題があった。日本が柔道で負けることは許されなかった。無差別級で最強のへーシングをどう倒すか?しかしまったく策がなかった。

当時は 神永 昭夫 が日本チャンピオン。しかし名門 明治大学から社会人デビューした超大型新人の坂口は期待の星だった。神永とへーシングでは体格差があり過ぎるが、日本人離れした体格の坂口なら体力負けしない。

東京オリンピックの半年前の全日本選手権。試合前、坂口は明治大学の先輩である神永に『坂口、分かっているよな』と肩を叩かれたという。結果は神永が優勝、坂口は2位だった。神永にとってはこれがラストチャンス。一方の坂口はまだ22歳、次があった。

しかし 神永 と 坂口 がガチで勝負したらどうなったか?

身長で20cm、体重で20kg も違う体格差は技術で補うには大き過ぎただろう。まともに戦ったら坂口が勝ったに違いない。ここでも心優しい坂口の性格が災いした。結果 神永は五輪代表となり、へーシングに惜敗。ある意味、予想通りの結果となった。

歴史に『もし』を言ってはいけないが、もし坂口が東京五輪 に出ていたら・・・体格でも互角な坂口ならへーシングといい勝負をしたであろう。

神永の人となりを調べてみると柔道家としてだけではなく、人間としても一流の人格者だったことが分かる。だからこの話は真偽は謎だ。しかし坂口ならあり得る話だと感じた。

もし東京五輪で坂口が出ていたらどうなっていただろうか?格闘技好きなら考えるだけでもワクワクする。そう思うと残念でならない。

先日、坂口さんとお会いした時にこの話を聞きたかったが、さすがに聞けなかった。50年の時を経た今、時効だから書いてみた。