インドネシアの経済発展間違いなし! | 南国の日の丸レストラン

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日本研究の第一人者であるインドネシア大学のバクティアール教授に、同氏の講演を聴きに こないかとお誘いを受け、マンダリンホテルのホールを訪れました。先週の16日のことでした。 主催はジェトロさんということもあり、日系大手企業のトップ中心のお歴々にまじわり、巷稼業 の私は、鳥元のVIPのお客様の方々に、「たまには私も勉強させていただきます」とご挨拶し て、第一部ジェトロの方のインドネシア経済の話、第二部バクティアール教授のインドネシア 政治の話に聞き入りました。

こういうのは、日本のサラリーマン時代以来でしたが、とても新鮮で、認識が深まった点で、 大変、役に立ちました。私が、鳥元という現場で、日々、目にする光景、体で感じる感触が 数値面、データ面で裏づけられました。 1997年のインドネシア危機を切りぬけて、一人当たりのGDP500米ドルから今日では、GDP 3000米ドルを突破したという驚異的な伸びは、確かに、鳥元のような現場でこそ、体感でき るのです。これまで、鳥元で食事するなど高嶺の花だったかもしれない所得者層の方々が、 家族連れでお見えになるようなことが急増し始めたのは、実は数年前からです。 現地メーカーの方々でも、日本人はもちろん、欧米や、果ては、中近東などのお客様まで、 鳥元で接待されることが増えてきました。経済好調の証です。
そして、慰労の目的で、自社の幹部や従業員を連れて、鳥元に見えるようなことも増えま した。余裕がでてきたのです。

第二部の政治問題では、一応、安定してきたユドヨノ政権後の後継者の話がメインでした。 これは不確実性が高いものの、概ね、うまくいくだろうという感じがしました。 もっとも私が関心をもったのは、ますます豊かになっていくインドネシア華人の話でした。 実は、私、伊藤忠商事のインドネシア大学研修終了時、つまり、38年前に、宿題として、 「インドネシア華僑社会の実態について」という論文をインドネシア語で書き、人事部に 提出しています。 バクティアール教授の話に、いちいちうなづきながらも、ここまで、華人が突出していい ものかと、また複雑な気持になりましたが、同時に、それを抑えるのでなく、非華人系 (プリブミ)の皆さんには、前向きに考え、この経済成長の時流に乗り、「今にみていろ 俺だって」の心意気で、がんばって欲しいと思いました。
先般のダルマプルサダ大学の 講演でも、「弱者にこそ、チャンスあり」という気持で講演をしたのです。

「インドネシアも一人当たりGDP3,000米ドルを超えた」「他国の歴史に鑑み、これは成長 が加速する節目」という話が第一部でありました。日系のみならず、他のアジア諸国、 欧米諸国からのインドネシア投資はすさまじいものがあります。 リーマンショックを難なく切り抜けたインドネシアです。混迷するヨーロッパの経済情勢 の悪影響ももろともせずに、すさまじい発展を遂げるのではないか、と私は予測します。
1981年に一旦、インドネシアを離れ、13年後に復帰した時、高層ビルが立ち並ぶクニン ガンの町並みを見て、びっくりしたことを思い出します。1981年までは、なにもなく、確か、 3階建てくらいの映画館がやけに目だっていたエリアでした。

鳥元バンドンと鳥元ジャカルタを行き来する日々です。道中通る工業地帯のチカラン、 カラワン辺りもやがて、そういう光景になるのだろうと思いつつ、車の中から田んぼや林 を見やっています。 たぶん、「昔は、このあたりは田んぼだったのですがね」と、10年後には、誰かに言って いるでしょう。 楽しみです。
長生きして、インドネシアでがんばろうとっ! アハハハハ。