鳥元で、イブ デウィ モティクさんと30年ぶりの再会! | 南国の日の丸レストラン

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実業界で有名なイブ デウィ モティクさんと鳥元ジャカルタで、30年ぶり
の再会がありました。先週金曜日のことです。

1976年から1981年まで、私が、インドネシアで繊維合弁会社の営業を統括
していた頃、どこのメーカーよりも先に、インドネシア国産愛用キャンペーン
を打ち出し、ジャワ島内はもとより、カリマンタン、スマトラ、スラウェシーの
島でも、カテリーナという自社ブランド生地を拡販するために、ファッション
ショーを展開していきました。マレーシアにまで行き、モスリムウェアー用
生地売り込みのためのファッションショーまでやりました。
当時は、消費者もIMPORT MINDEDであり、本当はれっきとした自国産品
なのに、輸入品に見せかけて売ろうという時代でしたから、このキャンペーン
は勇気のある決断でした。

また、生地メーカーがファッションショーをやるなどということも画期的な
できごとでした。

その時にお世話になったのがデウィさんです。

当時は国民的人気の喜劇男優の故ベンジャミン エスさん(日本で言えば、
故渥美清さん)や若いうちからインドネシアを代表する服飾デザイナーに
なったラムリーさんともども最強のチームを編成していました。

1980年代の中ごろから、バリ島開発で、名声を上げたジュープアベさん
にも私たちはお世話になりました。(ジュープアベさんは、のちに郵政観光
大臣になられました。)

自らカテリーナの生地を使った服を着て、国産品愛用キャンペーンをやっ
ていただいたのです。

デウィさんは鳥元に入店されるやいなや、私の顔を認識されました。歳
はとっても、原型をとどめていたのでしょう。(笑い)

デウィさんは、女性の実業家の集まりの会長を務められていた著名な方
です。むすめさんのご主人はインドネシア銀行の総裁(日本で言えば、
日銀総裁)やアメリカ大使館の大使を務められたアルフィンさんです。

当時は、ファッションショーのようなものは頻繁にやられていたわけでは
なく、モデルさんの数も限られていました。だから、みなさん、ビジネスを
の関係を超えた仲間同志のような感じがありました。

昔のチームの仲間に会いたいと思って久しいのですが、なかなか、チャン
スがなかったのですが、デウィさんの方から、「みんなで同窓会をやりま
しょう!」と言っていただきました。

こういう再会というのは本当に楽しいものです。

インドネシアの日本料理店 TORIGEN 鳥元

テーブルの右側中央部分でピンクのスカーフ
をされているのがデウィさんです、お孫さん
に手を回されている方です。テーブル左側の
最前列がアルフィンさんで、その向こうが奥様
です。

インドネシアの日本料理店 TORIGEN 鳥元

お孫さんがウェイトレスと一緒にたこ焼きを
作っています。たこ焼きにとても興味を引か
れている様子ですね。

インドネシアの日本料理店 TORIGEN 鳥元

当時のデウィさんがカテリーナのブルーの
生地で作ったスーツを着ておられます。
私もカテリーナのチェック柄の生地で作った
ジャケットを着ています。

インドネシアの日本料理店 TORIGEN 鳥元

故ベンジャミン エス氏が出演するカテリーナ
のCM はインドネシアのテレビ広告の歴史に
残る大ヒットとなりました。

サリーパンパシフィックホテルで開催した
「カテリーナの夕べ」では、ベンジャミンさんに
ステージに上がるよう誘われました。
意を決して、オンステージとなりましたが、私
は意外に冷静で、寸劇の掛け合い漫才となり
ました。 なつかしいなあ !