この仕事をやっていて、一番、面白いのは人との出会いです。
先日、総合商社双日の方々の宴会が、鳥元の有明の間で、行われました。
ソフトボール選手権大会参加への決起大会ということでした。
私と同じ福岡県出身の方が二人おられますので、おひらき間際に、「他に、
福岡県人会の方はおられませんか?」、と聞いてみましたら、若い男性の
方が、奥さんが福岡県出身と言われたので、「福岡はどこですか?」と聞い
たら、私と同じ大川市出身。
それで、「大川はどこですか?」と聞いたら、私の実家と同じ榎津。「榎津は
どこですか?」と聞いたら、「実家は石橋という自転車屋さん。」
もうびっくりしました。私の元の実家から遠くありません。
大川は、家具の産地としては、全国的に有名ですが、わずか人口4万人
程度の小さな町です。
そんなちっぽけな家具の町大川の出身が、鳥元ジャカルタの日本人シェフ
と私含め、この赤道直下の南国ジャカルタに、これで、合計4名もいることが
分かりました。もう一名も女性ですが、私の亡き姉と、中米のペルーに、一緒
に、旅行されたことがあるという方で、これまた信じられない出来事でした。
私が、最初に、インドネシアにきた1970年代初頭には、考えられなかった
ことです。本当に「世界は狭くなりにけり。」、と思います。それだけ、インドネ
シアも発展をしてきたと言えるのでしょう。
こういう縁に出会えるのも、この商売をしているからこそです。「小説は事実
より奇なり。」の話が、まだ、いくつかあります。
いずれ、紹介したいと思います。