アパレル産業が産声を上げた1960年代から10年。業界の体質が問われる時代を迎えた。この記事は「紳士服業界の時代 体質強化は急務 商工分離で利潤追求 二次メーカーの構造改善」との見出しで、当時、日本のアパレル業界をリードしてきた紳士服業界の現状と展望をまとめたものである。年商10億円以下のメーカーが大半を占める脆弱な業界体質を懸念し、その部分を指摘した、かなり硬派な原稿である。文中の表現では、読みやすいように多少手を入れた部分があるが、原文を尊重した。半世紀前のファッションビジネスを知る意味で、とても貴重な記事となっている。

 

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 紳士服業界は、昨年(1971年)前半における生産調整も軌道に乗り「不振続きの紳士服」といわれる汚名が挽回できるかと思いきや、アメリカの対日繊維規制・ドル防衛策と続き、ダブルパンチを食わされた格好でまたもや“万年不況の紳士服”になってしまった。

 その結果、繊維産地では織機の打ちこわしが続き、縫製(アパレル)分野でも背筋が寒くなる思いでこのニュースを聞いた。紳士服が過剰生産といわれたのは一昨年秋ごろからで、これに伴い業界は構造改善を提案した。その時点ではおもに生産調整と流通合理化が掲げられ、生産調整は徐々に効果を上げていった。

 それと同時に、不況対策としての体質強化をはかる動きもめまぐるしく、商社などの資本参加が目立ってきた。競争激化のなかにあって、資金面の導入をはかるのは当然で、とくに商社との結びつきは、海外情報を得るうえで最短距離でもあった。また同業だけでなく、異業種との合弁もあり、再編の動きが進みつつある。

 紳士服業界で再編の動きが早まったのは、一連の不況対策と考えられる。それと、紳士服がステータス・シンボル的なものからファッション化が進展し、ファッションとして付加価値が高い商品展開が可能なことから失望感だけでなく、今後に期待するむきも少なくない。

 再編では、大手総合商社を中心に系列化がはじまり、素材メーカーからリテーラーまでの垂直統合の動きが活発となった。しかし、ここでは縫製(アパレル)分野の弱体が目立ち、企業体質の強化を痛切に感じさせる。

 全国紳士服工業組合連合会(全紳連)の調査による組合加盟370社をみてもわかるように、年商額1億円以下が75社、1億円から10億円までが252社、10億円以上が43社と、10億円以下が圧倒多数を占めている。

 そこで、ここ2、3年の目立つ動きとしては、合弁があげられる。それは2社または3社による中堅クラスの統合で、業界大手へのランク入りをねらって、商社や素材メーカーから資金導入を受けるなどして資金力を備える動きである。

 また、合併とまでいかないまでも、統一ブランドなどによるグルーピングも盛んに行われている。この場合、同一取引先の服地問屋(テキスタイルコンバーター)などが音頭を取り、グループ化による海外提携なども進められている。このコンストラクターとしては服地問屋のほか、大手小売業(百貨店、月賦店など)によるストア・ブランドの共同製作グループなども組まれている。

 これら一連の動きは、今後とも商社を核として進められることが予想される。その場合、タテの系列化はますます強固なものとなり、特定のルートによる販売体制が確立されるものと思われる。

 一方、ヨコの結びつきとしては同業種による体質強化、異業種による統合といった合弁事業も考えられる。また従来、製造卸として縫製・販売という2極を有していた2次メーカーが商工分離を図り、相互が独立した経営により利潤効率を上げようとする動きがある。これは、同系というなれあいを避け、よりシビアな企業経営に迫られているとともに、ファッション・サイクルの短縮化から見込生産が立てにくくなっている一面もある。

 

消費者の不信を取り除け

 紳士服業界の将来を語るとき、「紳士服は高すぎる」という問題がとり沙汰される。その原因が取引合理化である。現状の繊維製品取引のシステムは、価格アップにこそなれ、これを押える方向に向いていない。たとえば、委託販売システムにしろ、返品制度にしろ、すべてがマージンに転嫁されている。また、ファッションの多様化により多品種少量生産になっており、ファッション・サイクルが短縮されている。こうなると、見込生産が立てにくく、大量生産というメリットが生かされなくなっている。当然、こうしたところにも価格アップの要因を含んでいる。昨今は、繊維産地から労賃・工賃の値上がりを理由に、服地・裏地の値上げ(10~15%)が示めされており、さらに追打ちをかける形勢が強い。

 これからの生産・流通コストをいかに下げるかは、むずかしい問題である。しかし、まず取引改善を関連業界一体となって推進する必要があり、消費者の不信感を取り除かなくてはならない。こうした時期だけに、マージン・アップは危険とも受け取れる。

 アメリカに起こったテーラード・ニットの台頭は、合理化対策としても功を奏した。しかし日本では、コストダウンをはかる合理化対策だけでなく、新たなファッションとして受け取られている。

 対米輸出規制で輸出市場が悪化したことから、合繊メーカーは内需の強化として、ポリエステル8社がテーラード・ニットのキャンペーンを打ち出し、大きな期待をかけたが、アパレル業界は一部の大手を除くと、多くは戸惑いをみせている。テーラード・ニットがアパレル段階での合理化になっておらず、予断を許せない。単なる流行に終わらないよう育成する必要があろう。

 余暇の増大により、カジュアル化が急速に進んでいるが、紳士服界も政策転換をはかるまでになっている。その主役がスポーツコート(ジャケット、ブレザーコート)とスラックスである。いままでの「替上衣・替ズボン」から脱皮した、ファッション性の高いスポーツコート、スラックスが伸びている。このカジュアル化と相反するフォーマルウエアの伸びも著しい。これは、生活(ライフスタイル)様式の変化によるものだが、ブライダル・ブームがさらに拍車をかけている。

 

“時代の要請”に対応 国際環境と紳士服業界

 資本レベルでの競争時代を迎えたわが国紳士服業界は、国際的にも開放経済体制下の荒海にもまれ、国内的には資本戦争の真っ只中に追込まれ、あわせて統合、合併、買収という第二の胎動期に突入した。

 紳士服業界の第一胎動期は1960年代後半の工業化、規模の拡大期に発生した。企業規模の拡大が、企業体質の強化につながり、収益面でも多くを勝ち取るという、規模の利益を追求する時代である。

 紳士服に限らずアパレル・インダストリーの構造的特質となっている“卸・縫製”は、業界が未発達の段階では脆弱な体質とされていた。換言すれば、工場までが60年代後半の花形企業とうたわれていた。

 このため、大手のアパレル卸商は下請け縫製企業を系列化、グループ化することにより、幹を広げることになった。その場合、資本投下(参加)で経営権を握るケースから、年間の工場スペースを確保して生産力の確保をはかるなど、家内工業的な小規模集団の統合よりも、縫製の工業化を根底から揺り動かす胎動期を迎えていた。

 縫製業を工業へと拡大していった60年代の紳士服業界も、1970年代の幕開けとともに、企業が目指す志向性とマーケット変化に、大きなギャップが生じ始めてきた。それまで「大きいことはいいこと…」といわれた縫製業だが、70年代では必ずしもいいことではなくなってきた。

 紳士服市場が多様化、個性化するなかで量産・量販は敬遠され、小規模で小回りのきくフォロー体制を持つ企業が重視され、産業としての基盤を根本的に是正しなければならなくなってきた。

 したがって、60年代に策定された経営予測は、70年代に入ると“軌道修正”を余儀なくされた。縫製(アパレル)業界が今日のようなスケールに拡大し、整備されるまでには、構造的な改革がなされてきた。

 紆余曲折しながらも産業形態を確立しつつある紳士服業界も、いまや第二の胎動期を迎えようとしている。日本経済の開放体制、これに関連する内的・外的な圧力は再び紳士服業界を震撼させる材料となっている。

 政府は46年8月のニクソン声明(いわゆるドル・ショック)以来、円対策8項目を取り上げている。それによると①輸入自由化の推進②特恵関税供与の早期実施③関税引き下げ④資本の自由化促進⑤非関税障壁の積極的撤廃⑥経済協力の推進⑦輸出の正常化⑧財政金融政策の機動的運営-これらは紳士服業界においても、すべてが“時代の要請”である。

 なかでも資本の自由化に関しては、大きな衝撃を与えている。相次ぐ先進国の資本上陸は、繊維業界にも及び、紳士服業界にも接近しようとしている。

 紳士服業界に対する外資上陸の最大手は、アメリカ最大のアパレルメーカーであるハートシャフナー・アンド・マークス社(H社)のケースである。H社が丸紅飯田(現丸紅)と対等出資によるジョイント・ベンチャーを日本に設置しようとした計画は、周知の通りである。過去4年にわたり計画-修正-検討-再計画を重ね、合弁構想を求めた段階で生産プロジェクトが解散(三陽衣料、丸善衣料の脱退)し、H社の上陸がご破産となったのは最近の出来事である。

 資本参加という形での日本進出を断念したとはいえ、H社がもたらした海外資本の驚異は多大なものがあった。H社の副社長マイナー氏の再三にわたる来日は、徹底した市場調査と、日本の産業体質、はては消費者の好みにいたる一連の資料を収集し「出る時は万全の体制で…」という外資企業の基本的な理念を強く教えている。

 このプロジェクトに当初参加したヴァン・ヂャケット、丸善衣料、三陽衣料にしてもH社との接近は、来たるべき第二、第三のH社のアプローチに対する基本的な考え方が確立された。H社に続くビッグ10も、日本の縫製業(アパレル)と対比すると、あまりに規模の差のありすぎることに驚く。こうした企業も、アメリカ国内の生産環境がきびしさを増し、人件費の高騰や労働量の減少が多国籍化を強いる結果となっている。

 一方、後進国(開発途上国)に対する特恵関税供与にともない、コストが低い国からの廉価商品の乱入は、日本の紳士服市場を混乱させる起爆剤となる。すでに、シャツやスラックス、アンダーウエアなど価格競争に陥る分野では、日本の市場も浸食されはじめている。イギリスのアパレル産業がそうであるようにファッション性が乏しく、実用的な商品、さらに量産・低コストがメリットとされるジャンルは、途上国からの輸入品がシェア・アップしている。

 すなわち、日本の紳士服業界は“前門に資本の虎、後門に量産・量販の虎”を迎え、この迎撃体制をいかに整えるかという時期が到来した。

 こうした時代認識にもとづき縫製業が、途上国等に現地法人を設立し、現地のマン・パワーを利用するケースもでてきた。エフワンが三井物産と韓国に進出したケースも注目されている。

 外資や途上国からの追い上げにともない、業界内部でも大きな革命が始まろうとしている。素材メーカー、紡績、商社、百貨店による業界再編の動きは強化されるであろうし、業界のラテラル(ヨコ)の統合、合併、吸収も始まろうとしており、70年代前半はズバリ“資本戦争”の渦中に紳士服業界も追い込まれることになるであろう。(日本繊維新聞 昭和47年=1972年4月21日)