一生さんが32歳で「当代随一…」と評されたときのインタビュー記事である。“人間回復”が叫ばれた当時、そこでは衣服を見つめ直し、人が着るという原点に立つことの重要性を指摘。そして日本のファッションについては、感覚的な裏付けの不足に懸念を抱き、海外から受けるだけでなく、インフォメーションの発信に注力すべきと語っていた。

 

◇    ◇    ◇    ◇

 

 流行に“追いつき・追い越せ”とばかりに、多様化ファッションを打ち出す日本の服飾界にとって、真に珍重されるデザイナーは少ない。そうしたなかにあって、当代随一のデザイナーとは三宅一生氏である。今春(1971年)から三宅一生・一珠・東レの連携によって、既成の概念を破る作品が一流百貨店、専門店でコーナー展開され、数多い商品に多くの若々しい息吹を与えている。この連携による第2回発表会が5日、赤坂プリンスホテルで開かれたが、ショーの終了後、三宅一生氏は「人間回復がテーマである」と本紙に語った。

 「いろいろなところで、ファッションの原点回帰が叫ばれているようだが、あいまいな方法論に私は賛成できない。着るものとは一体なんなのだろうか、といった点で考え直すのはよいが、ともすれば過去への指向になりがちではないだろうか。人間回復とは人間のための衣服であり、楽しみや着やすいもの、そして大事なことは働く女性のためのものだということを忘れてはならない。夜の世界の女性や過去の思慕、ノスタルジーに対して私はまったく興味を感じない。あくまで明るく健康的で機能的な女性が対象であり、これまでいわれてきたように整形された胸や脚を強調するより、太い脚や自然な胸の女性に色気を感じる」

 ところで人間回復をテーマにして主張してきたことと、今回の作品がほとんどストレッチデニム、綿スムーズに固執した点との接点、そしてマテリアルの重要性がどの程度のウェートを占めるのだろうか。

 「日本の服飾界の技術と素材開発力については大変な力量があると思う。アメリカではすべてがスペシャライズされていて、個人の感覚を最初から最後まで貫き通すことはムリだが、私の場合は糸の段階から完全に手がけている。そして衣服とは第2の皮膚である、とこれまでいろいろなところで主張してきたが、皮膚とは当然、伸縮するものだ。それがストレッチデニムに目をつけたゆえんだが、アメリカでは水着に使われていたことがある。一方、ファッションのポイントとはマテリアルとテーマだと私は思う。シルエットとか細部でいじってみてもナンセンスであって、これまで以上にマテリアルの占める重要度は高くなるだろう」。

 昨秋以来のロンゲット作戦の意味、そして今春のホットパンツの移行をどうみているのだろうか。

 「(裾丈の)ロンゲットについては先程もいったようにノスタルジーだと思う。進歩という新しい意味をもったものについては賛成だが、ロンゲットそのものの場合は賛成できない。ホットパンツは今春、日本で発表したが反応があまりなく、実際に製品化したものが残ってしまった。しかし、これをニューヨークに送ったら、たちまち売れて追加がきたという次第。要するに、アメリカでは発表されたものを自分が楽しんで着るといった反応が、すぐ現れるが、日本では自分の着るものとしては決して受け取らない。自分以外の人間が着るかもしれない。着ないかもしれないといった距離をおいた見方が一般的のようだ。それでもホットパンツは世界的な規模で流行するだろうと思う」。

 日本の服飾界に対してひと言、次のように語った。

 「技術もよい、マテリアルもいろいろいいものがある。ただないのは感覚的な裏付けだ。そして海外のインフォメーションに信頼を寄せすぎる。これからは自分の方からインフォメーションが出せるか否かが大変大切だと思う」。

 5月20日、ニューヨークのとある劇場の幕あけでコレクション発表が予定されているが、当分日本をベースにして仕事をしていきたいということだ。(日本繊維新聞 1971年=昭和46年4月8日)