日本でアイビーブームをつくったVAN(ヴァン・ヂァケット)は1954年に創業。その創業者でもある石津謙介は、海外旅行が珍しかった1959年に欧米のファッション動向を視察し、その報告を繊研新聞に掲載した。その中からイタリア、パリ、ロンドン編をお届けする。

 

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イタリア みてくれファッション すぐれたデザイン

 

私は昨年末、約50日間にわたって、欧米を旅行してきた。行く前にいろいろな欧米案内記を読み、また聞いたりしていったが、結論的にいって「どれも、みなウソで、みな本当だった」ということだ。口では単に「欧米では」などといえるが、本当にわかるまでには、数年間実際に住んでみないとできないだろう。そういう意味では、この私の話も”九牛の一毛”かもしれないが、目でみてきたものであるからウソではない。しかしこれが欧米のすべてではないことを含んでいただきたい。題して「私のみた欧米」というゆえんである。

 

 世界のファッションの中心はイタリアのミラノと知られている。それは確かに間違いのない事実だ。しかし…。

 飛行機はローマに着いた。ローマでの男のファッションは、みるものすべてに目がウロウロするほどスバラしい。しかし私は考えた。ローマであまり驚いたら、行く先々どうなるかわからない。そこで慎重(?)になることにし、本場のミラノを期待してでかけた。

 この期待は裏切られた。ミラノはあくまでも生産の中心である。これを売るのはローマである。ローマの方が巾が広い。イタリアのファッションをみるには、特別の工場へ入るのは別として、ショッピングはローマだった。

 ところでそのイタリア・ファッションは「みてくれファッション」だ。デザインを売るという感じだけが強い。イタリアは日本と同様貧しい国だからデザインと手工業品くらいしか売るものがない。しかしそのデザインはすぐあきてしまうファッションだ。永続性がない。また永続性があっては業者が困る。靴もコートもシャツも全部ボタンがすぐとれてしまう。品質的にみて日本品に近い。

 びっくりしたのは、ウェザー・コートの一番上のボタン・ホールがあっても、それに対するボタンがついていない。飾りホールだからボタンは不必要と考えているのだろうが、イギリス品とこういう点は、まるっきり反対だ。その意味でイタリア品は

デザインは非常に洗練されているが、品質的にインチキ品が多いといわざるをえない。

(繊研新聞 昭和35年1月22日からの連載)

 

 

 

パリ ”男のファッション”なしオート・クチュリエ いまや香水屋に

 

パリには男のファッションはない。しかしこれを逆にいうとパリの男はみんなモード的にみえる。しかも浮いたものではない。

 もし男のファッションがあるとすれば、それはイタリア・ファッションだ。イタリアのものがショーウインドウに出ている。これに対してパリっ子はなんの反応も示していない。それらの商品は、アメリカ人など観光客を相手にしているのだ。

 ただラテン区(学生街)ではイタリア・モードを売っている店が非常に人気がある。それはパリに多い留学生が率直に飛びついているからだ。本当のパリっ子は、パリが世界の中心だと思っているので外国のものを取り入れようとはしていない。たとえばイブ・モンタンは非常にオシャレに気を使っているが着ているものは黒いシャツに黒い服だけで、これはモードではない。

 だからパリは勉強するところでなく生活するところだ。ついでの話だが、パリの料理はまずくて、うまい。それは高い金を出したものは文字通り世界一だろうが、日常食べるものは、これほどますいものはない。パリで一番うまいものは生ガキにレモンをぶっかけて食べるというが、これは食えたものではない。広島カキや志摩のカキを食いつけているわれわれでは、最高級店のカキでも一口食ってもハキ出した。

 ヨーロッパでのうまいものはキジ、カモなど野鳥料理とスイスのマスぐらいのものだ。

 女のファッションは、やはりパリのようだが、それでも昔のような神通力はなくなりつつある。パリのオート・クチュリエ(高級洋装店)は、いまでは香水屋になり下がってしまっている。ディオールもそうだし、ファツトなどは男物のネクタイ屋になってしまっている。またアクセサリーの扱いも多くなっている。もっともこんな例はアメリカのノックス・ステップソンという有名な帽子屋がいまではアクセサリー屋になっているのもある。

 

ロンドン おそるべき伝統の力 それでも若い層はイタリアン・モード

 

 イギリスの服装は昔から、ほとんど変わっていない。これはおそるべき伝統の力である。その頑固さは敬服すべきだ。

 イギリス人ほど世界的に訓練された国民はない。さすが文明人だと思った。日本とくらべると100年の相違があるように思う。イギリス人の社会性から、いまの日本をみてみると、われわれの現在から、さかのぼる明治初年と同様である。

 法律でもそうだ。日本の法律はドロボーを前提としている。しかしイギリスはちがう。まずドロボーはいない。しかし、万が一ドロボーが出てきたら、こういう罰し方をしようという考え方だ。社会的に秩序が守られている。日本のように我利的な個人主義はない。

 再々、日本人旅行者に触れるが、イギリスでも日本の旅行者は、日本人として最低の人かと思うような連中だ。もちろん非常に優秀な人もいるが、目をおおいたくなるような行状を見たり聞いたりして大いに同国人として恥ずかしかった。

 ところでイギリス製品はやはり良い。ながい経験から生まれた伝統が生かされている。ボタンつけ1つにしても、とれたり壊れたりせず洗濯してもなんともない。

 私はこう思った。イタリア・ファッションは買おうとは思わない。デザインはよいが、すぐあきるし、品質がわるい。パリのは買って帰るおみやげだ。パリというレッテルもあるしまた商品がシャレている。しかしイギリスのものは自分で身につけたい商品だ。実際イタリア品はシャツもコートもスボンもボタンが帰ってくるまでもたない。イタリア靴も2足ハキつぶした。すぐに破れたり糸がきれるのだ。その上これらは修理が利かないから処置なしだ。

 しかしイギリスもいまの若い連中はイタリア・モードを身につけてチャチャチャを踊っている。やはり時代の波だ。