俺の記録 13


12は中学校へは行けないようになった言うとこまでやな


前にも書いたと思うけど


ここからが俺の人生の始まりやな


色んなこと重なり俺は極道社会へ身を置くことに


もう亡くなったから名前かまへんかな


菊谷雅夫兄貴


カッコええ人やったな


いつも三つ揃えのスーツ着てパリッとしてた


ほんま俺は憧れた


鳥よ 極道はカッコつけてなんぼ


汚いカッコしてたら笑われるぞ


お前もピシッとしたカッコつけれるようなれ


そう言われたん覚えてる


そしてノミ屋覚えてきた頃


梅田の阪急百貨店連れてってもろて


スーツを買ってもろたん覚えてる


俺は当時若い子らに流行ってる


少しダブっとしたソフトスーツと言うのを買ってもらった


あと靴とカッターにベルト


そんなもんやったかな


全て揃えてもらった


あとは普段に着るセーターとかブルゾンにパンツ


両手一杯になるぐらい袋持って帰ったん覚えてる


なんぼぐらいかかったんやろ


それぐらい買ってもらった


次の日からは買ってもらったもの着て行った


これで俺も極道社会の人間や


そう思ったもんやったな


仕事(ノミ屋や盆中)も覚えてきて


ノミ屋は自分一人でこなして行った


土曜日2万 日曜日2万月曜日ノミ屋の付けで1万  水曜日ノミ屋の集金で1万  木曜日盆中の手伝いで5万


週に11万の給料みたいな金が入って来た


月にすれば44万から55万


当時の大学生の初任給がたぶん10万あったんかな?


そんな金が入ってきたら俺も変わってしまう


俺を拾ってくれて一緒に生活してくれてた久美子


不自由はさせない暮らしを与えれるようなった


金に人は群がる


俺にも若い子(もちろん俺より歳上ばっかりだが)が何人か出来た


もちろん金に群がった奴らとは思っていたが…


けど俺には嬉しかった


たぶん初めてと思う言うのは


この頃兄貴の拳銃を見た


俺も本当に欲しくなった


日本刀なんかは見向きもせず


俺も初めて買った


当時は安くて30万ぐらいやったと思う


もちろんすぐ使うって事は無かったが…


けどいつかは兄貴のために…


そう思っていた


今でもかすかに覚えてる


ブローニング320やったと思う


後年銃刀法違反でパクられた時にも


4丁のうち1丁はブローニングやったんはこの時から

何故かブローニングが好きになったからかな?


夜中箕面の山や名神高速で練習したもんやな


ほんま下手っぴやのに  笑


けど腕にも自信ある  道具も持てた


14〜15歳の俺もやっとここまでなった


その自身は嬉しかったし


その後の極道人生に役立ったと思う


けど好事魔多し


その後びっくりする事が起きたんやな



ええとこやけど続きはまた次回へ   笑