今日はまた違うこと書く


ついこの間嫌なことと言うか残念なことあった


それについては書かないけど…


俺の心から愛した人のことが書きたくなった


俺の生まれた頃からを書く


俺の本当に愛した人は3人


1の時にも少し書いたかもわからんけど…


ひとりはまずは母親の実の弟の叔父さん


この人の愛情は凄く大きい❗️


俺の実の母親の父母一緒の兄弟は3人


あとは母親違いと父親違いの兄妹姉妹は沢山居る


なぜ沢山居るのかは  俺にも数が分からないからだ


母親のお父さん 俺のおじいさんは恋大き人だったみたい


まあそれはさておき


叔父さんの姉 俺の母親には実の兄が居る


俺の伯父さん


俺は顔も見たことない人


なぜならあの忌まわしい戦争で特攻隊で亡くなったから


いくつで亡くなったかも知らない


戦争の話は俺は叔父さんにもおじいさんにも聞いた事無かったから


戦争の話をするのが辛かったのか話してもくれなかった


俺の愛する叔父さん(俺はおっちゃんと呼んでいたが)


おっちゃんは子供(従姉弟の姉ちゃん)を連れた人と結婚していた


そしておじいちゃんと4人で暮らしていたみたい


その頃俺の母親と父親は離婚していた


当時俺は産まれて3ヶ月ぐらいだったようだ


俺の本当の生まれは福岡県


俺は結婚するまでずっと大阪生まれの大阪育ちと思ってた


母親と父親は離婚して  母親は大阪に住んでる叔父さんを頼ってきたらしい


俺は6ヶ月ぐらいの時に父親に連れられ夜行列車で大阪へ


父親もまた別れた母親を探しに大阪へ来たらしい


もちろんすぐ居場所なんか分かるわけない


色んなとこまわってようやく見つけたみたい


これはもうあくまで俺の想像だ


なんせ6ヶ月の子供にそんな記憶なんかあるわけないし


それから物心ついた時には叔父さんの家の隣に住んでいた


ボロボロの長屋


トイレ  台所は共同  もちろん風呂も無い


トイレは旧式のぼっとん便所


いわゆる汲み取り式のトイレだ


こんな生活を子供の頃はしていた


俺は小学校2年ぐらいまでの記憶が無い


あるのは父親が死んだということ


それからの記憶はある


母親にせっかん 


今で言うDV


3年生か4年生の初めまで続いた


叔父さんが見かねて俺を叔父さんとこから学校へ生かすようにして


暮らすのも叔父さんとこで暮らした


そこは叔父さんと従姉弟の姉ちゃんとおじいちゃん


そこへ俺が転がり込んだ


ここからはもう硬い言葉は割愛


おっちゃんと姉ちゃん(おっちゃんの亡くなった奥さんの連れ子)は優しかった


姉ちゃんは俺より7つ上


色々勉強も教えてもらった


本を読むということ覚えたんもこの頃かな


それからは平穏な日々


遊びにも連れてってもろたし


俺にとっては最高


けど俺は7つ上の姉ちゃんに勉強教えてもろてるから


同級生達より学力は上


段々と学校の勉強がアホらしなった


それに加えて姉ちゃんも高校へ行きだしてから


少し不良混じりになって行った


極めつけはおっちゃんの再婚


大阪の堺のええとこの人で


まだおっちゃんも若いし


俺の母親は賛成してたらしい


八尾の方へ家を借りて


そこへ俺と姉ちゃんをと


姉ちゃんはめっちゃ反発した


姉ちゃんにとってはおっちゃんは養父


けど本当の父親


いやそれ以上の人やったと思う


俺も反発した


まあそのおっちゃんの再婚相手が単に嫌だっただけかも知れない


姉ちゃんは家出


俺は母親のとこへ戻った


もう俺も母親より力も有るし背丈も高かった


殴られそうになると足引っ掛けて転ばしてた


俺もその頃から不良になって来た


タバコは吸う 


年上の人らと付き合う


もう一端の不良気分


ここからが俺の人生の転がりのスタートやった



長いので続きはまた次回へ


身体悪くしてるのであんまり長くは書けないので💦