どこまで書いたんやったかな?


そやそや


2回目の少年院行ったとこや


この2回目の少年院は酸っぱい


傷害致死


パクられて鑑別所行った時までは傷害暴行やった


けど家裁の審判前に亡くなった


こいつも俺らと一緒につるんでた連れやった


最初の少年院出てきた時は出院祝いまでしてくれたのに


なぜか1週間ほどであんなことに


俺は鑑別所の職員さんに「死んだぞ」


そう聞かされた時は頭の中が真っ白になった


殺した?俺が?なんで?


審判の席までメシも食えなかった


審判で俺を逆送(地裁で大人の裁判を受けるとこ)


にして下さい


そこまでの罪を犯してるんやから逆送に


俺はその決心がついてた


けど良かったんか悪かったんか


俺は少年審判で特別少年院送致


今では考えられない事や


昔は少年の罪には甘すぎたんやろな


俺は特別少年院へ行ってからは


月に2回(手紙を書ける回数 級が上がればこれも増える)


ずっと被害者遺族へ手紙を書き続けた


もちろん連るんだ連れやから親御さんも俺のことは知ってる


初めは返事など来るはずも無い


けどいつの日か返事が気だした


夏には暑いから熱中症に気をつけて


冬には寒いから風邪引いたり霜焼けなったりに気をつけて


俺はその時初めて涙して


自分の犯した罪に対して後悔した


特少では初めは気が動転して暴れまくったけど…


いつしかそれも収まって


早く出て線香のひとつでもあげたい


そう思うようになった


出院してからはどこへも寄らず


そこAの自宅へ行った


ご両親も姉さんも罵声浴びせるどころか


素直に迎えてくれた


それが俺には余計に重くなったように思う


それからは毎月の月命日には線香あげに行った


たぶん俺が次パクられる(この件は後日書きます)


39歳の時までずっと続けた


その時に親御さんに「鳥本君 もういいよ  もう20年以上も

来てくれてる その気持ちは十分伝わってる けど君の顔見てたら  やっぱりAのこと思い出してしまう  だからここらで終わりにしよう  今まで本当にありがとう」


そう言われた


けど俺にはまだあの頃のこと蘇る気がする


未だに俺の心の中にはAと連るんだこと思い出す


けどなぜそれやのに俺を襲ったんか?


それが悔やまれる


特別少年院  そんなんで済む事犯やないやん❗️


今でも俺は思っている



また長くなりそうなんでまた明日書くようにします



ご愛読くださってありがとうございます❗️