1人になった俺は俺の親分  正式的には兄貴分


俺はなぜか他の人らが親分と呼んでた人を兄貴と呼んでた


なぜかは分からない


けど兄貴と


1人になった俺は兄貴とこの部屋住み(親分の家で生活すること〕には入らず同じ階の部屋に住んでた


それは一種の俺のプライド


入るなら神戸の部屋住みだけ


そう思っていた


そしてその後最初の中学校のひとつ上の女の子が俺を頼って家に来た


俺はいつものように毎週の仕事(ノミ屋と博打の手伝い)


これをしていた


その後兄貴とその若い衆らがパクられた


残ってた若い衆は散り散りに


また俺はヤクザ生活でも1人になった


けど博打は出来なくても


ノミ屋は俺が継いで1人でやって行った


その頃俺にも若い子らが何人か持っていた


まだ15〜16歳の頃なやのに


ノミ屋は兄貴が残してくれたもの


今だから言うけどお客さんは市場関係の人ばっかり


だから集金なんかは楽やった


金も今まで以上入って来る


けど好事魔多し


俺は傷害暴行でパクられ


この罪で少年院に


当時泉南郡阪南町にある和泉少年院(今は和泉学院)


となってるとこへ


最高6ヶ月でもっと早く出院するものもいるが


俺は懲罰多かったし6ヶ月丸々居た


出院して保護観察がつき


それから1週間程でまたパクられた


今度は傷害致死


これは俺が調子に乗っとると思われ


家から出てきて先輩ら3人に襲われた


その時に木刀でやられたけど1人から木刀奪って


1番強いやつ(皆顔見知りやけど)を目一杯殴っりまくったと思う(俺にはどうしていたか分からない)


その時通報で警察官が沢山来てめっちゃ殴られ覆面に乗せられたことだけ憶えてる


少年審判で俺は奈良の特別少年院へ


前は短期少年院やったけど次は長期少年院


わずか1週間程でまた逆戻り


少年時代も上ったり下がったりの人生


まあヤクザしてたらしゃあないんかな


そう思いながら



長くなりそうなんでまた明日でも