俺の今までの記録


俺は両親が居てない


まあこの歳やからしゃあないやろけど…


小学校3年生ぐらいの時に父親と呼ぶべき人が死んだ


いわゆる母子家庭みたいなもんになった


けど生物学的な母親と呼べる人


その人は俺のことをあまり面倒見てくれなかった


と言うより彼女は母親と呼べるより


1人の女性として行きたかったみたい


俺は母親と呼ぶべき人の実の弟


叔父さんと歳が7つ離れた養女の姉ちゃんに育ててもらった


それも家は隣りに住んでるのに🤣


だから小さい頃の思い出としては


叔父さんと養女の姉ちゃんの2人の思い出しか無い


叔父さんと姉ちゃんと暮らしてるのはほんま楽しかった


叔父さんの休みの時は海へ連れてってもらったり


山へ行ったり


色んなとこへ連れてってもらった


初めて海へ行った時は水がアカンかったから


叔父さんにしがみついたん憶えてる


姉ちゃんにソフトクリームかってもらったり


今でも頭の中に残ってる


その幸せを潰したんは俺自身やろな


小学校6年生ぐらいの時から悪くなって


いわゆる不良やな


そして決めては叔父さんの再婚


俺の育った大阪の天六から八尾へ引越した時


俺と姉ちゃんは


その叔父さんの再婚相手とは合わなかって


2人で反発してしもた


姉ちゃんは家を出て


俺は育ててもらってない母親とこへ行った


けど中学校へ入ってからはよその中学校の子らとケンカばっかりして


児童相談所へ行ったり


警察沙汰になったりしてたんで


転校させられることに


転校先でもケンカばっかり


もちろん煙草吸ったりもしてた


中二の二学期に転校させられ


そこで母親は出ていった


俺は1人になった


中二の俺にどう生活してええのんか分かれへん💦


違う中学校の連れに相談して


その連れが先輩に相談してくれて


先輩の彼女さんの友達にまた相談


そして相談された女性


と言ってもまだ18歳なる前の女の子


その子も家を出て1人で暮らしてた


そこへ俺は拾ってもらった


顔も見てない俺を拾ってくれた


俺はそこで暮らすことに


まだ14歳になるひと月前のこと


連れとか先輩とかはよく来てくれて


色んな食料品など持って来てくれたが


男の俺が女性の世話になることはみっともない


そう思った頃大阪の十三というとこでケンカした


そのケンカの相手が


いわゆるスジもん


ヤクザである


そのときにそのケンカ相手の親分に気に入られ


そこで世話になることに


そこで仕事


もちろん普通の堅気さんの仕事では無い


競馬のノミ屋とか博打の手伝い


それで小遣いと言うか給料みたいなもんをもらった


それで一緒に住んでる女の子には顔がたった


1週間に競馬のノミ屋で4万円  博打の手伝いで5万円


競馬の付けと集金で2万円


合計11万円が手に乗る


当時の大学卒業の初任給がたぶん12万から14万ぐらいやったと思う


1974年  昭和49年の頃だ


月に40万円くらいある


2人での生活は十分すぎるぐらいやった


けど一緒に住んでた女の子は親と兄さんらが来て


家に連れ戻された


また俺は1人になった


長くなるので続きはまた明日でも