(赤人の片思い)
万葉の時代は鳥の世界と同じ母系社会。男女の営みは種の保存に責任を負う雌が主導して自由奔放で、至る所欲望の花が咲き乱れる。そんなところでもひっそり日陰に咲く花がある。次は山部赤人の片思いの歌だ。
(長歌)春日(はるひ)を・・雲居たなびき 容鳥(かほとり)の 間(ま)なくしば鳴く 雲居なす 心いさよひ
その鳥の 片恋のみに 昼はも 日のことごと 夜(よる)はも 夜(よ)のことごと 立ちて居て 思ひぞ
我(あ)がする 逢はぬ子故に
あなたが振り向いてくれないので、絶え間なく鳴く容鳥のように昼も夜も片思いに泣いている、と詠う。この容鳥とは何だろう、夜行性でもないのに一晩中鳴く鳥、と言えばぬえ鳥、トラツグミを措いて他に思い付かない。
(トラツグミ--雄は一晩中フィーフィーと雌を求めて悲し気に鳴く)
ヨタカも夜、大口を開けて空中に浮遊する昆虫を貪りながら、キョキョキョと雌を求めて夜鳴きする。食欲と性欲の二刀流、家持ならむしろこちらを容鳥に推すかも知れない。
(ヨタカ)
同様に片思いと思われる赤人の歌に
我が背子を ならしの岡の よぶこどり 君よびかへせ 夜の更けぬ時
あの人を呼び戻してくれ、夜の更けないうちに。この場合、よぶこどりはカッコウが当てられている。古人は自分の想いを相手に伝える際は鳥に仲介を依頼するようだ。
(手児名の歌--赤人の究極の片恋)
手児名(てこな)は鄙の貧しい伝説の美女。自分に通って来る男のために寝室まで改築したのに、やって来る男と言えば皆んな自分の容姿だけが目当て、美貌の罪の深さを悟り入水自殺したと言う。並みの人間には分からぬが、モテ過ぎも立派な自殺の理由だ。
(カヤクグリ--確実に子に恵まれるよう雌が2羽の雄と番う一妻二夫タイプ。鄙の乙女も男2人までならよかったのに・・)
雌とメイン雄
餌を手土産に待機するサブ雄
赤人はその地を訪問し、その乙女に長歌を贈るほど入れ込んだ。
(長歌)・・倭文幡(しつはた)の 帯解き交へて 臥屋建て 妻問しけむ 勝鹿の 真間の手兒名が 奥津
城・・
奥津城とは墓。愛する男と結婚して倭文織の帯を解き合い共寝をした、と伝説のストーリーを脚色し、幸せな夢物語に仕立てながらその墓を探し歩き、やっと辿り着いた時は
我も見つ 人にも告げむ 勝鹿の 真間の手児名が 奥つ城ところ
と感嘆の声を挙げたほど。せめて薄幸の乙女には幸せな夢を見て欲しい。その墓は今も千葉県市川市にある。コロナ騒ぎが落ち着いたら、一度行って究極の片恋とやらに挑戦してみたい。
(一度は真似してみたい家持の恋)
名門に生まれ、14歳で父旅人が死んで当主となった天平のモテ男、母系社会そのままの通い婚の社会で多彩な恋の遍歴を繰り広げた。
(オシドリ--雄は雌の産卵を見届けると次の雌を追い回す一夫多妻タイプ)
坂上大嬢(おおいつらめ)に宛てた歌。大嬢は坂上郎女(いらつめ、旅人の妹)の娘で、後に最初の妻に死に別れた後で妻になる女性だ。
夢の逢ひは 苦しかりけり 覚(おどろ)きて 掻き探れども 手にも触れねば
(長歌)・・あしひきの 山鳥こそは 峰(を)向かひに 妻問すといへ うつせみの 人なる我や 何すとか
一日一夜(ひとひひとよ)も 離(さか)り居て 嘆き恋ふらむ・・
勿論、妻問したくて出来ないわけではない。逢いたいと言う修辞上のテクニック。これだけ情熱的な歌を贈ったからには、結婚後のケアーはさぞや大変だったろう、と思うが、ここまでなら常人でもなんとか真似 できないことはない。
多くの女性歌人の中で最も長く関係が続いたのは「妖艶な作風」が定評の紀郎女だ。
(タマシギ-雌は雄と交わって産卵すると卵は雄に託し、また次の雄を求めて田圃を闊歩する多産タイプ)
家持の紀郎女に贈る歌
鶉(うずら)鳴く 古りにし里ゆ 思へども 何そも妹に 逢ふよしも無き
我妹子(わぎもこ)が 屋戸の籬(まがき)を 見に行かば けだし門より 帰しなむかも
紀郎女は安貴王(天智天皇の曾孫)の妻。万葉社会では既婚女性の男交際は事実上公認だろうが、家持はまだ10代、10歳年上の紀郎女には子供に見えたことだろう、門前払いしたが、恋の火種は残っていたようで、数年後20代前半になった家持に合歓(ねむ)の小枝とともに1首を贈る。
昼は咲き 夜は恋ひ寝る 合歓の花 君のみ見めや 戯(わけ)さへに見よ
と、共寝して喜び合う花、「私だけ見るのは勿体ない、お前さんも御覧なさい」と思わせぶりな歌。紀郎女と家持との歳の差から遊び半分と解されているが、紀郎女は女盛り、まかり間違えばとの下心があっても不思議でない。
(ネムの葉。大陽が傾くと葉が閉じて就眠する姿が共寝を連想させるらしい)
これに対する家持の返し歌
吾妹子が 形見の合歓木(ねぶ)は 花のみに 咲きてけだしく 実にならじかも
自然界では秋になるとちゃんと実を付けるが、恋は気紛れ、実らないこともある。
(ネムの花。実際は1~1.5㎝の果実が秋に褐色に熟す、と言う)
笠郎女は15歳前後の家持を熱愛した女性だ。次の歌を家持に贈って恋が始まったが
託馬野(つくまの)に 生ふる紫草 衣に染め いまだ着ずして 色に出でにけり
最後は誠意がない家持に愛想をつかし
相思はぬ 人を思ふは 大寺の 餓鬼の後(しりへ)に 額付(ぬかつ)くごとし
と捨てセリフを浴びせて恋に幕を下ろした。
気骨のある女性もいたもので、大神郎女には最初から相手にされなかった。
(モズ--雌は複数の雄を個別訪問して品定めし、番の相手を決めるしっかりタイプ)
大神郎女が家持に贈る歌
さ夜中に 友呼ぶ千鳥 物思ふと わびをる時に 鳴きつつもとな
ほととぎす 鳴きしすなはち 君が家に 行けと追ひしは 至りけむかも
理由もなく鳴いてうるさいなァと言われたり、直ぐに追い返されたり・・若い時の家持は方々で恋に浮名を流したようだ。
(共感を呼ぶ人麻呂の恋)
通い婚の相手でも、何時も逢えるとは限らない。若いときの人麻呂は女性との出逢いに苦労したようで、いくつも独り寝の歌を詠んでいる。
我が恋ふる 妹は逢はさず 玉の浦に 衣片敷き 独りかも寝む
(恋しいあの子は逢ってくれない。袖を敷物代わりに一人寝とするか)
ほととぎす 鳴くや五月の 短夜も ひとりし寝れば 明かしかねつも
(アカウソ--模範的な一夫一妻タイプ)
泊瀬(はつせ)川 夕渡り来て 我妹子(わぎもこ)が 家の金門(かなど)に 近づきにけり
許されて女性の家を訪れる、門の前まで来て心ばかりが逸る、そんな心情を詠う。本当はこんなのが一番いい出逢いなのかも知れない。
(住いのあばら家では、わが老妻が酒と肴を準備し待っている)
画・・K(長男)・S(妻)・S(夫)
画・・K(長男)・S(妻)
一方、別れは出逢いとは逆に重苦しいものとなった。任地の石見を後にして
(長歌)石見の海・・玉藻なす 寄り寝し妹を 露霜の 置きてし来れば・・いや遠(とほ)に 里は離(さか)
りぬ いや高に 山も越え来ぬ 夏草の 思ひ萎(しな)えて 偲(しの)ふらむ 妹が門(かど)見む 靡
(なび)けこの山
「妹が門見む 靡けこの山」、尋常では思い付かない表現だ。
石見のや 高角山(たかつのやま)の 木の間より 我が振る袖を 妹見つらむか
ささの葉は み山もさやに さやげども われは妹(いも)おもふ 別れきぬれば
都に所用があっての単身出立だったか、それとも何がの不手際があって国守の職を解かれ連れ戻されての旅だったか、いずれにせよ高角山まで来たところで、それを敷いて幾夜も寄り寝したであろう、その袖を振って別れを告げる。これが恐らく最後の別れとなったことだろう。石見の鴨島で死んだが、事故死とも刑死とも言う。
(最後は生涯最高の歌を歌いながら白鳥は西の空に去って行ったとさ)
コロナ禍で遠出はままならず、鳥たちとの出逢いが遠くなりました。
更新は不定期になりそうです。
皆様のブログにはお邪魔していきます。花霞(妻)














