①「教材観」「児童観」「指導観」について

1)教材観
「教材観」はその教材がもつ価値です。
教科書にあるから教えるのでなく
「その教材に価値があるから教える」と考えるといいです。

その価値とは何なのか?
それが教材研究になります。
価値も分からず授業を迎えると
山場のないおもしろくない授業になります。
逆に価値が分かっていると
教師のテンションがそこで上がります。
つまり,何を教えるべきなのかがはっきりしているのです。

本来なら学習指導要領からその価値を引っ張り出します。
学習指導要領は全国の学校に適応できるように曖昧に書かれています。
そのため,いろいろな視点で解釈することができます。

しかし,学習指導要領から価値を引っ張り出すためには
それなりの力が必要となります。
ですから,学習指導要領を元にして作られた
教科書から価値を見出します。

ところで,「価値」といわれてもピンときませんよね。
ですから,「子どもが学ぶこと」と思って下さい。
教科書にあるくらいなので価値はそもそもあります。
授業によって何を学ぶことができるのかを書くことが
教材観となります。


2)児童観

「児童観」は教材と子どもとの距離です。
 「その教材についてどれぐらい知っているのか」
 「どれくらいなじんでいるのか」
 「その教材につながる学びがそれまであるのか」
 そのようなことを書きます。

よく指導案に「本学級の子どもは仲がよく…」なんて
書かれているものがありますが,
これだと子どもと教材の関係が分かりません。
(教材が「仲良く」と関連しているのなら書く必要がありますが)

学習指導要領は,国のトップクラスの方々が集まって
作っているものですからよく考えられてできています。
例えば,○年生で○○を学習ということも
発達段階にあわせて系統立てています。

ですから,1年生といえども
類似の経験は必ずしています。
その類似の学習(経験)について述べるのが
児童観となります。

これを書くためには当然ながら
子どものことを知らないと書けません。
一般的な子どものことを書くこともできますが
20代の内は自クラスの子どもたちについて詳しく書くこと
自分の授業力を上げることにつながります。

3)指導観

「指導観」は
教材研究をして明らかになった教材の価値を
目の前の子どもたちに
どのように指導するのかを書きます。

日本の教育研究は世界に模倣されるほど進んでいます。
それぞれの教科で様々な指導法が生み出されてきました。
よって,自分のオリジナルと思っても
多くの場合,既に行われた指導法であることが多いです。

よって,この指導観は
何もオリジナルの指導法を書かないといけないのではありません。
児童観で具体的になった子どもに
どのような指導をするのか教師の信念を書きます。

「教材観」「児童観」「指導観」の一連の流れを
料理に例えます。

「教材観」は素材の価値について書きます。
なぜ,その素材を使うのか,
その素材はどんな料理によく使われるのか,
食べるとどんないいことがあるのかなどを書きます。

「児童観」はお客さんについて書きます。
その素材やそれを使った料理が好きなのか,
似た素材や料理の経験があるのかなどを書きます。
 
「指導観」はどんな料理を作るのかを書きます。
新たな料理ではないかも知れませんが
お客さんのために一工夫をするはずです。
例えば隠し味に普段使わない○○を使うと
お客さんは必ずおいしく思うはずだ!!
みたいな,具体的にどんな料理をするのか
お客さんのためにどんな工夫をするのか
その意図について書きます。
   
ただし,よく失敗するのが
「指導観」にレシピ(=手順)を書いてしまうのです。
レシピは書かなくても授業を観ればわかります。
また,レシピを書くだけなら
お客さんについて書く必要もありません。
(つまり「児童観」を書く必要性がない)

ですから,指導観に書くのは
自分がやることの意図や思いを
すなわち信念を書くと思って下さい。