人の名前と、その人の人格は近しい。これは真実であろう。題名にもしたが、「名は体を表す」という言葉があるくらいである。最近はあまり深い意味を持たない名前も多いみたいだが、親は子供に何かしらの意味や希望を込めて名前を与える。そして、その親はその意味を胸に秘め、子育てを行う。すると、子供は名前通りの人格になるのは当然のことだと思われる。

 そのような事もあり、僕が人と関わったり、台本の役を理解したりする時は結構名前を大事にする。そこには親や、作者の意図が何かしら反映されているはずであり、名前通りの人格を想像すれば、余程のことがない限りハズレがないからだ。例えば以下のようにして行う。「橋元一希(はしもと かずき)」という男がここにいたとするだろう。彼が重要人物なのはあからさまである。「橋」は人と人とを繋ぐ大切な役割を示し、「元」はそんな橋のブレない軸を表している。次に、「一」つの「希」望と続くのだから、圧倒的に主役に近いポジションに来なければ彼の存在が宙に浮いてしまう。今回は分かりやすい例を紹介したが、このように名前を解読していけば、内容を読まなくてもほとんどの役の人格とポジションが見えてくる。

 僕はこのような事を考えて演出を組んで行ったりするが、もしこれを作家が見ていたらどのように考えるか非常に気になる。もし、何も考えず感覚で名前をつけていたとすると、僕はそこで無駄な時間を使い過ぎていると感じる。