魚君寒そうで動かない。

水は方円の器に従う

 

故野村克也氏がサインに書いたとされることわざ

 

故野村克也氏の考え方が好きで

 

この方の語ったこと語録を追うと

 

浅はかな自分でもこの方の

おっしゃる言葉の凄み、深みがわかる気がする。共感できるような気がするのだ。

(バカなのでうまく言葉にできない)

 

そしてその言葉を色々と掘り下げて調べていくと 

"こういう考え方があるのか"

と感心してしまう。

 

このことわざの意味は

水は、容器の形によって、四角にも丸くもなる。転じて人は、交友関係や環境によって、よくも悪くもなるというたとえ

 

水は人民であり、容器は君主と例えられることもある。

さらにいうと

水は社員で容器は社長とも置き換えることもできるかと思う。

 

職場の環境や上司によって社員に良い影響も悪い影響も出ると思う。

 

ただ容器が一方的に水に対して影響力を持っている一方通行的な見方はどうかとは思う。

まさに他責思考というか・・・

 

水は水で影響を受けるだけではいけないと思う。

人民・社員たちはどうあるべきか自立した考え方も持つ必要があるとは思う。

受け身だけではいけないはず・・・

 

 

 

水も真水もあれば、汚水もある

 

きれいな水でも少しでも汚水があれば汚くなってしまう

自分がいなくなるのか、除去するのか、受け入れて折り合いをつけるのか

 


みんながみんな真水だと没個性的なりそう。

ただ日本の社会というのはそういう没個性的で扱いやすい

 人を求めているのかもしれないと思う。


ただ汚水となって周りに悪影響を与えるのは望むところではない。

(そういう人も組織には必要なケースもあるかもしれないが)


良い人、良い環境に巡り会うために良い影響を与えられる

人になるべく自分磨きを怠ってはいけないとは思う。


取り留めもなく、まとまらなくなってしまった


とりあえず分かったことは難しくて生きずらい世であると思う今日この頃である。