知るほど不思議な平安時代 繁田信一著 | 寅月

寅月

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■水田の側に設けられた小屋は 
稲刈りを前に 野生動物に水田を荒らされないよう、
寝ずの番をする為のものである。

そして平安時代には この小屋で不寝番をする事を
田守」といい たもり 
 田守をする人を田守人と言い たもりびと 244
 
  ■本名 森田 一義[1](もりた かずよし)
ニックネーム タモリさん タモさん[1

◆◇
田守の発音はどんなんやろう?




■比叡山・金峯山は遅くとも平安時代からの仏教聖地ではあったものの、
下
寺院が建立されて仏教の聖地としての位置づけを得る以前にも、
既に聖地であったからである。
中略
高野山はその周辺で生活を営む人々にしてみれば、
弘法大師入定の地となる以前より
有力な山の神が支配する霊山だったのである。
 164頁
■比叡山の山の神として知られる日吉山王神 ヒエサンノウシン
比叡山
■金峯山(吉野山)にも金精明神 コンショウミョウジン
吉野山 金峯山寺
(金峯神キンプシン 金山毘古神カナヤマヒコシン 
金山明神)という有力な山の神が鎮座していた。
朝廷の公式の歴史書である『日本文徳天皇実録』は、仁寿二年(852)の十一月九日、
「大和国金峯神」に従三位という高い位階を・・・
  ・・都の人々をも畏怖させるほどの神格
165頁






■ 朧谷寿 歴史学者
 山中裕  日本史学者・日本古典研究者。東京大学史料編纂所教授
山中裕著
■藤原実資 さねすけの日記 小右記
■藤原 娍子(ふじわら の せいし/すけこ)、
天禄3年(972年) - 万寿2年3月25日(1025年4月25日))は、平安時代中期の人物。第67代三条天皇皇后。父は贈右大臣藤原済

藤原 妍子(ふじわら の けんし/きよこ
994年4月〈正暦5年3月〉- 1027年10月16日〈万寿4年9月14日〉)は、日本の第67代天皇・三条天皇の皇后(中宮