羅須地人協会。
宮沢家別荘地での活動(元別荘も現存)
詩碑 。
雨ニモマケズ 後半部分が刻まれている。
高村光太郎の筆
除幕式 昭和11年11月23日 除幕式
賢治の主治医 佐藤隆房が撮影したフィルムが残っている。
宮沢政次郎 1874-1957
私は「業の花びら」をすすめたが、
難しいというので「雨ニモマケズ」になってしまった。
詩雑誌 四季 に遺稿として掲載
宮沢賢治研究家 小倉豊文 1899-1996
もし 業の花びらが刻まれていたなら
賢治は今のように
一般に 薄っぺらな騒がれ方もせず
本当の賢治の真面目が
人びと心に静かに染みわたって行ったのではなかろうか
■童話「二十六夜」
梟の子供が人間の子供に捕まり 足を折られて遺棄される。
煙は見る間にたなびいて
その雲の上に金色の立派な人が3人
真っ直ぐに立って居ります。
捨身菩薩のお身体は十寸ばかりに見えたと思うと
小吉は幽かにわらったまま息がなくなっていました。
盛岡市 曹洞宗 清養院 に下宿
本尊・釈迦仏
浄土真宗・阿弥陀仏で育った賢治
18歳、漢和対照 妙法蓮華経を読む。
盛岡高等農林学校 農学科2部にトップの成績で入学
自啓寮の室長に就く
保阪嘉内と親友になる。
風の又三郎のモデル
■大正10年 政次郎と関西旅行
1日目 東京発 2日目伊勢神宮 3日目 比叡山延暦寺
4日目法隆寺 興福寺 5日目 奈良公園 6日目 東京着
◆◇ 旅の中で、親子にあった苦悶やらが 解けたらしい。