日本を襲ったスペイン・インフルエンザ 速水融著 | 寅月

寅月

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           2005年12月執筆
  今から90年近く前 世界を襲ったスペインインフルエンザ
■当時の人口は20億足らずで、 死亡者は
 世界全体で2000万から4500万 
日本では内地だけでも 50万人近くに達する。 

第一次大戦の戦死者は約 1000万人といわれている。
                                   序章 13頁

■投薬のタイミングを効果的に判断する専門医がいなければ、
  ~カナダのように専門医のネットワークづくりが必要。~
新型インフルエンザの襲来は、
もはや「もし」の段階から 「いつ」の段階にきている
                               第一章      32頁



大幸薬品
■ウイルスの遺伝子は不安定なRNAで 変異し、増殖

1918年春アメリカ中西部の兵営 (H1N1型)
ヨーロッパにおいて軍隊から市民  第2章

■効き目があったとすれば、人ごみに出るな、手洗い うがいをせよ 衣類寝具を日光消毒せよの励行
4章


■ 肺の細胞を冒し出血に導く  7章 314頁
▲日清戦争の日本側死亡者、戦闘による者1415名 戦病死11894名(コレラと脚気(白米を兵食)
                                               国史大辞典  ▲


大正中期 、日本は大きな曲がり角にあった。
工業生産額が農業生産額を上回った。電力生産量が増え一般家庭に電灯。
犠牲も払わずに第一次世界大戦の戦勝国となり国際聯盟の理事国
               ヨーロッパ諸国は自国の再建

流行後関東大震災、死者数10万人(最近調査)物的被害甚大


1935年アメリカのショウプ博士 ブタ・インフルエンザ・ウイルスの分離に成功した。
   1970年代 ヒトのインフルエンザ・ウイルスの分離  

◆◇
  百年前の話だけど、今度に向けた態勢も 整ってないらしい。


▲火災の規模は、原因となった火種とはほとんど関係がなく、時間とともに変化していく木同士のつながりのネットワーク  
戦争の規模も同様に、引き金となる出来事とはほとんど関係がなく、その時に存在する政治的・社会的・経済的緊張のネットワーク
▲ウーゴ・バルディ教授