西園寺家と幕府の結びつきは
承久三年(1221)、西園寺家の祖 藤原公常が
後鳥羽上皇の討幕計画を幕府に密告したことに始まる。
以来、西園寺家は幕府の威を背景として朝廷で権勢をふるったが、
■皇太
子尊治は
当時の西園寺家の実質上の当主 実兼の末娘 禧子を「密に盗み取」って妃にしたという。
『花園院宸記』正和三年(1314)正月20日条にある。
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■第2章 6章 宋学に基づいた政治は容れられなかった。
■8章 徳川家が清和源氏新田の血を引いているという物語の為に 南朝正統を説く。
『西園寺ってそういう家なんやな』って思っちゃいました。