赴任のため東京を出発する2日前の12月3日、井上外務卿の配慮で、初めて天皇に拝謁することができた。
拝謁を許されたのと同じ日、
原は中井弘の娘貞子と結婚した。
この時原は27歳 貞子は1869年8月15日生まれで14歳。
跡見女学校の生徒であった。
伊藤之雄 原敬 外交と政治の理想 上 136頁
■1887年2月8日
貞子夫人マルセイユ到着 原敬とともに12日パリ着
■1905年12月16日 貞子夫人と離婚
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14歳、外交官夫人として天津。 17歳でパリ。
美人を選んで TVドラマにしてほしいです。
『花燃ゆ』 みたいに歴史上の人物をぐるりと配置して・・
■1905年10月初め、
原が東北巡回を終えて東京に戻ると、貞子が他人の子供を懐妊して既に5か月であること聞いた。
456頁
貞子が生んだ女児は貞子の弟の与一が引き取ることになり、原は別途、与一と貞子に500円を与えた。
456頁
■1919年3月24日 深更病死
中井弘が京都府知事時代に岡本サダという女性に産ませた子供
(1892年3月12日生まれ)
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連続テレビドラマなら虚構で楽しくも