『赤い糸の女』が可笑しかった理由がワカラン。 | 寅月

寅月

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喜劇 の要件の一つに、演者たちは外側からの視点を獲得し得ないということがある。
演者たちは鳥瞰的な視点でもって、自らの属する世界や自分自身を眺めることが出来ない。であるがゆえに、彼らには、設定されている世界の仕組みが普通なのか異常なのか、また、自分たちの行為が正しいのか間違っているのか、自らの有り様が愚かなのかそうでないのか、判断できないのである。演者たちはまわりの世界を「当然ある普通の世界」と自明視させられてしまうだ。喜劇では、その世界がありえないもの、奇矯で異常なものとして描かれるが、演者たちが無知、というよりも構造的に無知な状況に置かれているため、その世界を前提に、彼らは真剣に本気で立ち回らざるを得ないのである。
一方で、それらを外側から眺めればどうだろう。
その視点からすれば、演者たちが、ありえない前提に振り回され踊らされているようにしかみえないし、演者たちの「主体的」行為がいちいち可笑しく演ぜられることになる



読んだ時に『これだ!』と思った。
でも、朝ドラの純と愛はちっとも可笑しくない。

主人公の働き方 働く環境 主人公の家族(父・母が 長男の妊娠させた女性を追い払うエピソードが酷かった。)

メインの登場人物 愛
彼の逆上する相手が小児と女子に限られるっていうのも醜い。

 『・・でもね、』って感じで 行為を解かされもしない。


『純と愛』も、
ありえない前提に振り回され踊らされているようにしかみえない
筈なのに可笑しくない。
                                                密度とか配分なのかな?
                          赤い糸の女には意識させない美化が織り込まれてたのかな?