修すれば、みな得道すといふ。
いはむやこの単伝の正法には、入法出身、おなじく自家の財珍を受用するなり。 証の得否は、修せんもの、おのずからしらむこと、用水の人の冷暖を、みずからわきまふるがごとし
弁道話:寛喜3年(1231)8月、深草安養院での著述
現在の京都市伏見区深草宝塔寺寺山町辺り
寛元元年7月(1243年)
比叡山天台宗徒に追われ 越前志比庄に移転
そこは、延暦寺と思想的な対立のあった白山天台宗の本拠地でもある。
寛元元年9月『仏道』
あきらかにしるべし。
仏祖正伝の大道を禅宗と称すべからずといふこと、臨済宗としょうすべからずといふことを。
さらに禅宗と称すること、ゆめゆめあるべからず
■建長5年8月28日 京都の宿で死す。
1253年

