3回前の記事で、「普通って難しい?」という記事を書きましたところ、様々な反響をいただきました。ありがとうございますm(_ _)m
さて、今回も「普通」というキーワードで書きたいと思います。題して、「普通」再び!(←若干、マンネリ化)
いただいた反響の中にそもそも「普通」ということは存在せず、各自それぞれの物事の捉え方があるということ。ただ、それだけなのでは?という意見を頂戴いたしました。
私も同意見です。ただ私の表現では、「普通」というのは100人いれば、100通りの「普通」があり、その100通りの異なった「普通」の間で、どう折り合いをつけていくかが重要であるといことになります。
さて、ここでしつこくも、でも「絶対的普通」は存在しないのか?という視点で今回は、考察してみたいと思います。
では、以下に様々なケースを挙げさせていただきます。
・「人を殺せ!」と命令されたとして、その命令に嫌悪感を抱くことは「普通」かどうか?
・神社に参拝して、自然と頭をたれるということは、「普通」かどうか?
・人間として、生きている上で、お腹が減るという現象は「普通」かどうか?
・人を愛してしまうという事象は、「普通」かどうか?
・信号をちゃんと守るということは、「普通」かどうか?
・カレーライスといった場合、ご飯とルーがきっちりわかれているのが「普通」かどうか?
(←しつこいですねm(_ _)m)
といろいろと考えていたら、訳がわからなくなって参りました。
そして、こんな風にいろいろと考える學問が「哲学」なのかな?なんてことを感じました。
で、今日の結論は、オーストリア出身?の哲学者、ヴィトゲンシュタインの言葉で締めくくらせていただきます。
「語り得ぬものは、語らない・・・」
お後がよろしいようで!
それでは、ごげんよー(^o^)
追伸;皆様の様々なご意見をお待ちしておりまーす( ´ ▽ ` )ノ