経管栄養

 

二年前の記録。

開頭手術が長引いて脳浮腫を起こした私の息子は嚥下障害の為、

経管栄養になりました。

 

働き盛りで、やりたいことが沢山あるのに、紙おむつをつけられ、

ベッドから起きられない状態になりました。

 

大丈夫、大丈夫。

きっと元気になる…。

 

病院にいる時も、

家に帰ってからも、

私はひたすらこの言葉を心の中で繰り返していました。

 

コロナ禍で中々見舞えず、

病院から電話がかかる度にドキドキしました。

 

ある時、息子はベッドの横にあるティッシュを取ろうとしてベッドから落ち、

しばらく床の上で動けず、

看護師が見つけて数人がかりでベッドに戻したと電話がありました。

 

「拘束しましょうか?」と言う職員の言葉に夫は

 

「拘束は絶対にしないで下さい!」

と大声で伝えました。

 

数年前に他界した義父(夫の父親)は、

入院先の病院でしばしば拘束されており、

そのことは家族に伝えられていませんでした。

義父は要支援2だったのに、たったの1ヶ月で要介護5になってしまいました。

 

その時の悲しみは夫も私も忘れられず、

「拘束」と言う言葉には過剰に反応してしまいます。

 

暴れてベッドから落ちたのではなく、ティッシュを取ろうとしただけなのです。

 

本人の取りやすい場所にティッシュを置いて欲しいとお願いしました。

 

やがて集中治療室から病室に移動しましたが、

私も夫もコロナ禍の面会制限の為、息子の様子を見に行くことはできませんでした。

 

経管栄養をしていてもお腹が空くらしく、

主治医から

「僕の顔を見るといつもお腹が空いたって言うんですよ。」

と聞いた時、何だかほっとしました。

 

息子はきっと良くなると確信しました。