元大関琴風の尾車親方が、再雇用定年を前に日本相撲協会を退職するとか。

尾車親方は、昨年親方定年を前に部屋を閉鎖し、日本相撲協会に再雇用された後は弟子の元関脇豪風の押尾川親方が興した部屋の部屋付き親方として後進力士の指導と育成を手伝っていた。


年寄尾車の名跡は、自身が現役力士時代所属していた佐渡ケ嶽部屋に返納するとか。


尾車親方は、元横綱琴櫻の先代佐渡ケ嶽親方の内弟子として佐渡ケ嶽部屋に入門した。


尾車親方が入門した時は師匠がまだ現役力士で、将来は親方になって分家独立して部屋を興すため弟子をスカウトしていたのだった。


その弟子の1人が、尾車親方だった。


先先代佐渡ケ嶽親方が急死して先代が部屋を継承した後には、部屋の看板力士として活躍した。


現役引退後に、年寄尾車を襲名して師匠から部屋の運営ノウハウを学んだ後に、佐渡ケ嶽部屋から分家独立して部屋を興した。


先出の元関脇豪風の押尾川親方、元関脇嘉風の中村親方を部屋から輩出した。


ここからは推測だが、自身の師匠だった先代佐渡ケ嶽親方の孫である大関琴ノ若が師匠の現役時代のしこ名「琴櫻」を襲名したので、琴櫻に尾車の名跡を禅譲するために佐渡ケ嶽部屋へ名跡を返納すると見られる。


また、弟子の押尾川親方への部屋の運営ノウハウの伝授も済み、あとは自力でやれと言う意思表示だと見られる。


さらに、ご自身の健康上の問題もあり弟子の部屋の運営を軌道に乗せる手伝いが必要なくなれば退職するつもりだったと見られる。


膝の故障と闘いながら、がぶり寄りで土俵を沸かせた現役時代を知るので、長い間角界の繁栄に貢献した尾車親方を暖かく見送りたいと思う。


尾車親方は三重県津市の出身で、亡母がたまたま近鉄上本町駅で現役時代の琴風と偶然に出くわして、一緒にいたオバタリアン連中と共に写真を撮ってもらったことがあった。