2000年と2001年に米国🇺🇸のオープンホイールカーレース「CART」でロジャー・ペンスキーが率いる「チーム・ペンスキー」のマシンで連続年間チャンピオンとなり、2003年にはやはり「チーム・ペンスキー」のマシンでインディ500milesを制した、日本でもおなじみのブラジル人ドライバー、ジル・ド・フェランが米国フロリダ州でのプライベートレースへ息子と共に出場中に、心臓発作を起こして現地時間の昨日死去していたことが明らかになったえーんえーん


詳細な報道はまだないが、心臓発作が起きた時はマシンに乗ってなかったと見られる。


ジル・ド・フェラン

2000年、CARTの年間チャンピオンに輝いたチーム・ペンスキーのマシンとジル・ド・フェラン


2003年、インディ500milesを制してミルクを飲むジル・ド・フェラン


56歳だった。


2003年に現役を引退し、2005年にはF1チーム「B.A.R.」のスポーティングディレクターに就任するも、2007年のシーズン途中に解雇された。


2008年、自らチーム「ド・フェラン・モータースポーツ」を立ち上げてアメリカン・ル・マン・シリーズに参戦して現役に復帰し、2年間出場した。


2018年、F1チーム「マクラーレン」のコンサルタントとなり、後にスポーティングディレクターに就任した。

下位カテゴリーの時代からCARTに至るまで、日本のサーキットで行われたレースに何度も出場していた、日本のモータースポーツファンにもなじみ深いドライバーだった。


インディ・カーのレースは、2010年にツインリンクもてぎへ出かけて現地観戦したことがあったが、その時にも茂木に来ていてサインしてもらったのだった✍️ラブラブ


ちなみに、茂木のオーバルコースで行われたインディ・カーのレースは私が観戦した2010年が最後となった。


2011年の東日本大震災で茂木のオーバルコースは壊滅的な被害を受けてホンダは復旧しないことにしたため、2011年は茂木のロードコースで開催され、翌2012年から茂木はレースカレンダーから外された。