鳥谷は、埼玉県の私立聖望学園高から早稲田大学を経て2003年ドラフト会議で阪神に1位指名されて入団した。
入団当時の監督が早稲田大学の先輩に当たる岡田彰布さんで、自身が入団した当時の監督だったドン・ブレイザーに初めはスタメンで使ってもらえなかったからか、鳥谷には初めからショートのポジションを与えた
しかし、ルーキーイヤーの鳥谷は力量不足が明白だった
ルーキーイヤーの鳥谷は、101試合に出場して打率.251、本塁打3本、打点17と平凡な成績だった
また、前年阪神は星野仙一監督で18年ぶりにセ・リーグ優勝を飾るも、監督を禅譲された岡田さんは翌年4位とBクラスに落とした
私や他の口の悪い阪神ファンは「岡田が大学の後輩と言うだけで鳥谷を依怙贔屓したからBクラス落ちしたんじゃ」と、岡田監督の鳥谷起用をボロクソに言うた
2005年、レギュラーのショートに相応しい力をつけた鳥谷は、146試合すべてに出場して打率.278、本塁打9本、打点52とショートとしては上出来な成績を残して、チーム2年ぶり優勝の原動力となってルーキーイヤーでボロクソに言うた私や他の口の悪い阪神ファンをギャフンと言わせた
その後、鳥谷は2017年シーズンまで全試合連続出場を続けるのだった
しかし、金本が監督に就任した2016年あたりから年齢から来る力の衰えを感じさせるようになった
2018年には力の衰えを隠せなくなって、連続試合出場も途切れてしまった
監督が矢野に代わった2019年は、衰えが顕著となって74試合に出場して打率.207、本塁打0、打点4とまるで戦力にならなかった
この2019年が5年契約の最終年となったことから、多くの阪神ファンは「鳥谷も、今年で引退やな」と思わざるを得なくなった
阪神が鳥谷をどう引退させるかと思いきや、阪神の能無しボンクラフロント幹部は、何と鳥谷に引退勧告を突きつける暴挙
当時球団社長だった揚塩さんは「鳥谷さん、ユニフォーム脱いで下さい」と言うた
これに、鳥谷が猛反発
最終的には、ケンカ別れの形で阪神が鳥谷を自由契約選手とし、鳥谷はロッテに拾われたのだった
熱狂的な阪神ファンで知られる漫才師のトミーズ雅さんは「阪神球団は鳥谷の引退興行を企画していたに違いないしかし、阪神の球団幹部は鳥谷が現役引退する気がさらさらないのを全然分からないまま引退勧告なんかしたものだから、鳥谷が反発して引退興行はオジャンに💸💸」と言い、阪神のやり方に疑問を呈した。
当然、私や他の阪神ファンの多くも、雅さん同様阪神の能無しボンクラかつ高飛車な球団幹部の鳥谷へのあまりに冷たい仕打ちをボロクソに言うた
将来の指導者、指揮官の候補をケンカ別れで他チームに移籍させた挙げ句、鳥谷に阪神のユニフォームだけは二度と着ないと思わせたどうしようもない奴らだった
しかしながら、力の衰えが明白だった鳥谷はもう戦力にはならないとも思っていたので、ロッテに移籍して戦力になれると阪神ファンの多くは思わなかった
ロッテファンの皆様も、鳥谷獲得には懐疑的だった
実際、鳥谷はロッテでまったく戦力になれなかった
昨年は42試合に出場して打率.139、本塁打0、打点6に終わり、今季は32試合に出場して打率.170、本塁打0、打点2とまったく振るわずに7月以降は二軍暮らしとなっていた
今後について、まだ何も決まっていないようだ