ダービーは、数々のドラマを生んだレース。
その傍ら、大事件を数多く生んだレースでもあった。
1985年のクラシック戦線は、シンザン産駒のミホシンザン🐴が中心だった。
ミホシンザン🐴は、皐月賞と菊花賞を制して二冠馬となった。
しかし、ダービーには骨折のため出走出来なかった
ミホシンザン🐴は美浦の田中朋次郎調教師が管理した馬で、主戦騎手は柴田政人さん。
ミホシンザン🐴がダービーに出走出来たならば、間違いなく三冠馬になっていただろう。
ミホシンザン🐴不在となった1985年のダービーを制したのは、単勝1番人気に支持されたシリウスシンボリ🐴だった。
シリウスシンボリ🐴を管理したのは尾形藤吉調教師門下の二本柳俊夫調教師で、騎乗したのは厩舎の主戦の加藤和宏騎手(現調教師)だった。
1985年のダービーの出走馬と着順は、下記のとおり。
1枠1番 ゴッドリバー(西)
57 栗田伸一(西)24番人気25着
1枠2番 ビンゴチムール🐴(東)
57 蛯沢誠治(東)19番人気10着
1枠3番 バンダルオー🐴(東)
57 菅原泰夫(東)20番人気24着
2枠4番 ワイエムゴシマ(西)
57 田島良保(西)10番人気14着
2枠5番 ブラックスキー🐴(東)
57 郷原洋行(東)5番人気13着
2枠6番 トウショウサミット🐴(東)
57 中島啓之(東)7番人気18着
3枠7番 ディクタプリンス🐴(東)
57 徳吉一己(東)26番人気20着
3枠8番 サクラサニーオー🐴(東)
57 小島太(東)3番人気7着
3枠9番 シュウザンチャンプ🐴(東)
57 増沢末夫(東)25番人気23着
4枠10番 トウカイブラボー🐴(西)
57 田所秀孝(西)21番人気16着
4枠11番 レオディンゴ(東)
57 大塚栄三郎(東)14番人気12着
4枠12番 スダホーク🐴(東)
57 田原成貴(西)2番人気2着🥈
5枠13番 トレードマーク🐴(東)
57 嶋田功(東)6番人気21着
5枠14番 グリーンカップ🐴(東)
57 根本康広(東)8番人気8着
5枠15番 リキサンワイス🐴(東)
57 吉永正人(東)23番人気22着
6枠16番 シリウスシンボリ🐴(東)
57 加藤和宏(東)1番人気1着🥇
6枠17番 メジロジェスター🐴(西)
57 柴田政人(東)13番人気11着
6枠18番 アイアンサムソン🐴(西)
57 秋山忠一(西)16番人気17着
7枠19番 アクティブダイナ🐴(東)
57 東信二(東)11番人気15着
7枠20番 ストロングアロー🐴(東)
57 的場均(東)15番人気6着
7枠21番 ジョーダッシュ🐴(東)
57 花松進(東)22番人気26着
7枠22番 スクラムダイナ🐴(東)
57 岡部幸雄(東)4番人気3着🥉
8枠23番 ランドヒリュウ🐴(西)
57 村本善之(西)9番人気4着
8枠24番 ダイヤモンドラーン🐴(東)
57 安田富男(東)18番人気5着
8枠25番 ロンスパーク🐴(東)
57 宮田仁(東)17番人気9着
8枠26番 ハマノキャプテン🐴(東)
57 大崎昭一(東)12番人気19着
シリウスシンボリ🐴は1984年9月中山競馬場での新馬戦でデビューし、加藤和宏騎手鞍上で勝利を飾った
二戦目、芙蓉特別(現在の芙蓉ステークス)に出走するも、斜行して失格
三戦目、いちょう特別(現在の重賞サウジアラビアロイヤルカップ)に出走するも、道中不利を受けて2着
四戦目、府中3歳ステークス(現在の重賞東京スポーツ杯2歳ステークス)を勝った
加藤和宏騎手の騎乗ぶりに不満を持った馬主和田共弘シンボリ牧場代表は、加藤騎手からシンボリルドルフ🐴の主戦岡部幸雄騎手への乗り替わりを主張した。
だが、二本柳俊夫調教師は「岡部を乗せたいなら、厩舎から馬を引き上げろ」と応酬したのだった
和田さんは態度を硬化させて、本当に二本柳俊夫厩舎から馬を引き上げて、畠山重則厩舎に転厩させた
しかし、和田さんの対応に美浦の厩務員組合全体が反発し、美浦の調教師会が仲介に乗り出す大事件へと発展したのだった
結局、シリウスシンボリ🐴はわずか1週間で二本柳俊夫厩舎に戻されたのだった
これが、シリウスシンボリ🐴事件である。
この後、美浦の調教師会は和田さんをひどく毛嫌いし始め、一部調教師は「横暴な和田の馬を管理する調教師はけしからん」と、シンボリの馬を管理する調教師を村八分扱いするまでに発展した
年明け初戦、シリウスシンボリ🐴は岡部騎手が騎乗して若葉賞(現在は阪神競馬場で皐月賞トライアルとして開催されている若葉ステークスの前身)を勝った
だが、皐月賞に出走するにあたり岡部騎手が「こんないわくのついた馬にはもう乗りたくない」と以後の騎乗を拒否してしまった
結局、シリウスシンボリ🐴は騎手人事のドタバタに巻き込まれて皐月賞にも当時ダービートライアルだったNHK杯にも出走出来ずに、鞍上を加藤和宏騎手に戻してぶっつけ本番でダービーに臨むことになった。
重馬場で開催されたこの年のダービーは、各騎手が荒れた内を嫌って馬を外へ外へ進める異様なレースとなった。
そして、馬場の大外に加藤和宏騎手が進路を取ったシリウスシンボリ🐴はスダホーク🐴に3馬身差をつけて完勝し、加藤騎手にケチをつけた和田さんを見返す勝利を飾ったのだった
ミホシンザン🐴がいなかったとは言え、加藤騎手とシリウスシンボリ🐴のダービー制覇は見事だった
後に、和田さんは二本柳俊夫調教師だけではなくシンボリルドルフ🐴を管理した野平祐二調教師とも揉めた
春の天皇賞を勝った後に、海外遠征への壮行レースとして宝塚記念に出走させようとしたシンボリ牧場場長の桐澤さんと、体質の弱いシンボリルドルフ🐴を二走続けて関西に遠征させるのは無謀と主張した野平祐二調教師が揉めて、この時は和田さんが仲裁に入った。
結局、シンボリルドルフ🐴は宝塚記念にエントリーしたが疾病で出走を取り消した
シンボリルドルフ🐴が現在の馬齢表記で5歳になった時、和田さんと野平祐二調教師が海外遠征プランで揉めて、和田さんは野平祐二厩舎のスタッフをルドルフの海外遠征に帯同させなかった
こんな仕打ちに野平祐二調教師は激怒して、二度とシンボリの馬を管理しなくなった
そして、シリウスシンボリ🐴事件やシンボリルドルフ🐴での野平祐二厩舎への仕打ちは、結局シンボリ牧場の未来に悪い影響を与え、今や名を聞くことすらなくなるまで衰退した