元ヤクルトスワローズの投手だった、安田猛さんががんのために亡くなったことが、昨日明らかになった
安田さんは小倉高校、早稲田大学、ノンプロ大昭和製紙を経て、1971年のドラフト会議で当時のヤクルトアトムズに6位指名されてプロ入りした。
1965年の第37回選抜大会に出場するも、後に阪神に入団した藤田平さんがいた市立和歌山商(現在の市立和歌山高)に緒戦で敗退した。
この年の夏の福岡大会では決勝戦に進出するも、後に南海に入団した上田卓三さんがいた三池工に敗れて春夏連続出場を阻まれた。
なお、この年の三池工は最終的に全国制覇を果たした。
24歳でのプロ入りだったので、現役は10年と短かったが、入団した年に新人王を獲得したり最優秀防御率のタイトルを2回獲得する等で通算93勝を挙げた。
安田さんは「ペンギン投法」と呼ばれた独特のサイドスローから抜群の制球力と緩急自在の投球術を駆使して相手打者を翻弄した左腕の技巧派投手で、王貞治さんは安田さんを苦手にした
王さんの対安田さんの打率は.254だった
(例)王さんの相手主力投手との対戦打率
平松政次さん(大洋).370
星野仙一さん(中日).318
江夏豊さん(阪神、広島).287
阪神タイガースは安田さんを苦手中の苦手として、安田さんの先発イコール阪神の負けと言われたくらいだった
現役引退後は投手コーチ、球団職員を務め、野村克也さんがヤクルトの監督に就任した際コーチに再就任して、野村さんは安田さんを重用した
2009年までヤクルトに在籍し、退団後は野球評論家となったが、2012年には学生野球指導資格を取得し、2017年1月に母校小倉高校の常任コーチに就任した。
しかし、就任後すぐに体調を崩したため検査した結果、胃がんが相当進行していることが判明したため3月に常任コーチを退任して臨時コーチとして不定期に指導しながら、がんの治療をしていたとか。
安田さんのご冥福をお祈りします