去る2月12日を持って、50年以上に渡り運用されて来た近鉄の汎用特急車両スナックカー12200系が終焉を迎えた。

写真は、読売新聞の公式サイトより。
スナックカー12200系は、12000系のモデルチェンジ版として1969年3月から1976年まで実に168両も製造され、近鉄の汎用特急車両の基本形となった。

12000系は20両で製造が打ち切られたので、12200系へのモデルチェンジで大幅な改良が加えられたのだった。

しかし、製造から年数が浅い内に事故によって12000系4両、12200系2両が廃車されているしょぼんしょぼん

12000系12001Fと12200系12202Fは、1971年10月25日に発生した大阪線東青山〜榊原温泉口間の旧総谷トンネルで発生した正面衝突事故で著しく損傷し、12001Fは製造から4年、12202Fは新造から3年経たない内に廃車されたしょぼんしょぼん

12200系12226Fも、この事故で運転士が死亡するくらい正面が著しく損傷したが、こちらは運転台部分を取り替えて運用に復帰した。

12000系12007Fは、1969年8月5日に発生した大阪線伊勢中川駅付近での脱線事故で近くの畑に転落して車体が大破し、製造から1年未満だったが事故廃車されたしょぼんしょぼん

12200系スナックカーは、1970年の大阪万国博覧会開催に合わせた上本町〜なんば間延伸開業と、宇治山田〜鳥羽間新規開業、鳥羽〜賢島間改軌による、なんば、京都、名古屋〜賢島直通運転開始による特急利用者の増加に合わせて増備された。

途中から仕様が変更されて、スナックカーの名の所以となるスナックコーナーを持たない車両も製造されて、結果スナックコーナーを持たない車両の方が多く新造された。

これにより、1973年の伊勢神宮の式年遷宮に伴う特別輸送にも対処出来た。

また、近鉄の汎用特急車両で初めて運転台がない中間車両が製造されて、4両、6両の固定編成が組まれた形式でもあった。

12200系は1985年から内装の更新を兼ねた特別修繕対象となり、初期投入車は寒色系の内装から12400系サニーカーのような暖色系の内装に更新された。

さらに、4両、6両固定編成化された車両は、1988年に投入されたアーバンライナーのようなモノトーン内装に更新された。

2000年頃から初期導入車両の廃車が始まり、6両固定編成が解かれたり、一部車両は団体専用車「あおぞらⅡ」15200系に転用されたりした。

また、旧ビスタカー10100系からメカを転用して新造された現ビスタカー30000系の修繕更新に際して、廃車されたスナックカーからメカを再転用した。

12400系「サニーカー」は、12200系の増備車として投入されたが、当時の運輸省や大阪陸運局から「この車両は別形式とすべき」と指摘されたのだったべーっだ!べーっだ!

12200系登場当時、近鉄特急の看板車両だった10100系旧ビスタカーが古臭く感じる位のエポックメイキングな車両だった。

上記12400系と、サニーカーの追加投入車となった12410系と12600系も、12200系スナックカーと性能的には大差ないのだ。

しかし、昭和末期から平成初期に投入された21000系アーバンライナーや22000系エースカー、さらには22600系新エースカーが登場すると、シートピッチが狭く脚が伸ばせない12200系は「同じ特急料金を払ってもこれかショック!ショック!」と、ハズレ車両呼ばわりされるようになったショック!ショック!

近鉄特急汎用車両の新塗色化、喫煙コーナー設置による座席完全禁煙化対象から外された時点で12200系はその去就が注目の的になったが、正直新しい名阪特急専用車両80000系「ひのとり」がスナックカーに引導を渡すとは思っていなかったショック!ショック!