アメリカ🇺🇸の名ジャズ・ピアニスト🎹、チック・コリアが9日にがんのため亡くなったことが12日明らかになった



チック・コリアは、アメリカ🇺🇸のマサチューセッツ州チェルシー生まれ。
父親はジャズ・トランペッター🎺だったが、チック・コリアは4歳の時からピアノ🎹を習い始めたとか。
1966年にデビューアルバム「Tones for Jone's Bones」を収録し、1968年に発表した。
1968年に、名ジャズ・トランペッター🎺のマイルス・デイヴィスに誘われてグループに参加した。
マイルスからエレクトリック・ピアノ🎹のフェンダー・ローズを弾くように言われたチック・コリアは、当初あまり気乗りしなかったようだ。
しかし、これが1970年代のチック・コリアの音楽の核となるのだった



1971年にマイルスとは袂を分ち、クロスオーバージャズを目指してベーシストのスタンリー・クラーク等と「リターン・トゥ・フォーエヴァー」を立ち上げた。
1972年にリリースしたファーストアルバム「リターン・トゥ・フォーエヴァー」は大ヒットし、またセカンドアルバム「ライト・アズ・ア・フェザー」に収録された「スペイン」は、チック・コリアの十八番となった



「リターン・トゥ・フォーエヴァー」は当初ラテン色が強かったが、1974年にジャズ・ギタリスト🎸のアル・ディ・メオラが加入してからロック色が強くなった。
1977年にリリースした「ミュージックマジック」にゲスト・キーボード奏者🎹、ヴォーカリストとして参加したゲイル・モランは、後に夫人となった。
1978年に「リターン・トゥ・フォーエヴァー」を解散してフリーとなり、多彩な活動を続けていた。
同じジャズ・ピアニスト🎹のハービー・ハンコックを始め、ビブラフォン奏者のゲイリー・バートン、チェコ🇨🇿国籍のコントラバス奏者ミロスラフ・ヴィトウス、ジャズ・ギタリスト🎸パット・メセニー、元スタッフのベーシストだったスティーヴ・ガッド等、多彩な音楽家とコラボした



チック・コリアが、日本のファンに馴染みが深かったのは、何度も来日公演をしたことが理由だった



また、小曽根真さんやアメリカ🇺🇸在住ピアニスト上原ひろみさんがまだ20代だった頃から共演する等、日本人ジャズ・ピアニスト🎹と共演する機会も多かった



小曽根真さんは、「今年チックが80歳、私が60歳を迎える。それを記念したジョイント・ライヴを開催する予定だった。が、チックは80歳を迎える前に死んでしまった
」と、チック・コリアの死を惜しむコメントを発表した


」と、チック・コリアの死を惜しむコメントを発表した
