歌手の西城秀樹さんが、5月16日の深夜に死去したと17日昼のネットニュース号外が伝えた





63歳





まだ、若いのになぁ





4月25日、自宅で家族と過ごしていた西城秀樹さんは突然倒れて意識不明の重体に陥り、横浜市の病院に救急搬送されたが一度も意識が戻らないままで亡くなったとか





死因は急性心不全とだけ伝えられているが、間違いなく心筋梗塞であろう





西城秀樹さんは、1955年に現在の住所表記の広島市東区で産まれた。
大手芸能プロダクション「芸映」にスカウトされて、1972年に「恋する季節」でデビューした。
1973年にリリースされた「情熱の嵐」がヒットして、人気歌手となった。
西城秀樹さんは、同世代の人気男性歌手郷ひろみさん、野口五郎さんと共に、新御三家と称された。
蛇足だが、元祖御三家とは橋幸夫さん、舟木一夫さん、西郷輝彦さん。
この3名の歌手が全員健在なのに対し、新御三家の西城秀樹さんが死去したのだから、やはり早過ぎる死と言える





野口五郎さんは1971年に演歌歌手として「博多みれん」でデビューするも、まったく注目されなかった。
野口五郎さんはすぐに歌謡ポップス路線に転向して2作目「青いリンゴ」をリリースし、これが大ヒットして人気歌手となった。
郷ひろみさんはフォーリーブスのバックダンサーのオーディションを受けた時にジャニー喜多川の目に止まり、フォーリーブスのバックダンサーからソロに転向して1972年に「男の子女の子」でデビューし、これが大ヒットして人気歌手となった。
西城秀樹さん、野口五郎さん、郷ひろみさんは、1970年代中盤から後半にかけて、日本の歌謡界をリードする人気男性歌手となった。
また、西城秀樹さんは俳優として映画「愛と誠」で主演し、人気テレビドラマ「寺内貫太郎一家」シリーズに出演して、さらに人気が高まった。
西城秀樹さん最大のヒット曲は、1979年にアメリカのヴィレッジ・ピープルがリリースした「Y.M.C.A」をコピーした「YOUNG MAN」で、アイドル歌手の楽曲としては記録的となる、オリコン週間ヒットチャート5週連続1位の大ヒットとなった。
また、「YOUNG MAN」は当時はタブー視されていた、アイドル歌手の洋楽コピーの先鞭を切ったのでもあった
1980年代のアイドルブームの波に乗って人気歌手となった河合奈保子さんと榊原郁恵さんは、芸映が行った「ヒデキの妹」オーディションに合格して芸能界にデビューした女性歌手である。
1983年、西城秀樹さんは所属事務所の芸映から暖簾分けを受ける形で「アースコーポレーション」を設立して独立し、芸映の西城秀樹さんの担当スタッフもそのまま「アースコーポレーション」が引き継いだ。
私生活では、人気女優の十朱幸代さんとの交際が報じられたこともあったが、2001年に一般人の現夫人と結婚するまで独身だった。
2003年、公演先の韓国の済州島で体調不良を訴え、脳梗塞と診断された



歌手としては致命的とされる言語障害の後遺症に悩まされることになったが、3年に及ぶリハビリや訓練により復帰を果たした



2011年、再度脳梗塞を発症し、右半身麻痺とさらなる言語障害の後遺症に悩まされるようになり、歌手としては一線から退くことになった



5月26日、東京都港区の青山葬儀場で、一般のファンも会葬が可能な大規模な葬儀、告別式が行われると発表された。
喪主は夫人で、野口五郎さんと「寺内貫太郎一家」で共演した女優の樹木希林さんが弔辞を読み上げるとか




