続けて、祇園界隈の観光名所をば^_^
長楽寺
天台宗を開祖した最澄(伝教大師)が比叡山延暦寺の別院として創建したとされており、かつての境内は現在の円山公園の敷地の大半から大谷祖廟(東大谷)の敷地までをも含む、広大な敷地を持った寺院だったとか。
壇ノ浦の合戦で悲劇のヒロインとなってしまった建礼門院(平徳子)が、1185年に長楽寺に来て出家したことが平家物語に記載されていることから、「平家物語ゆかりの寺院」として知られており、実際に建礼門院の彫像がある。
長楽寺は元々天台宗の寺院だったが、後に浄土宗を開祖した法然の弟子隆寛が長楽寺に居住したことから、浄土宗長楽寺派の寺院となる。
さらに、南北朝時代から室町時代の過渡期に時宗の僧侶国阿が入り、現在は時宗の寺院となっている。
2008年、文化財を収めた収蔵庫が火災により全焼する災難に見舞われたが、貴重な文化財は住職等がすべて収蔵庫から運び出して難を逃れている(^^;;
円山公園
明治維新の廃仏毀釈の一環で先述の長楽寺や隣接する八坂神社等の敷地を政府が没収し、政府によって1886年に延べ9万平米に及ぶ円山公園が設置された。
翌年京都市に移管され、京都市最古の都市公園となっている。
桜の名所として知られ、花見シーズンには非常に賑わう^_^
八坂神社
「祇園さん」と呼ばれて親しまれている八坂神社は、元々は神仏習合の「感神院祇園社」と言う寺院だったようだ。
明治維新の「神仏混交禁止令」により、「八坂神社」と名が改められたとか。
八坂神社の夏祭りである「祇園祭」は平安時代に始まり、東京神田明神の「神田祭」、大阪天満宮の「天神祭」と並ぶ日本三大祭として、また上賀茂神社、下鴨神社の「葵祭」、平安神宮の「時代祭」と並ぶ京都三大祭としても知られる大規模なお祭りである^_^
知恩院
浄土宗の総本山で、浄土宗を開祖した法然が開基した寺院である。
現在の大規模な伽藍が構築されたのは江戸時代初期で、浄土宗徒だった江戸幕府初代将軍徳川家康の寄進によって造営が開始され、家康の息子江戸幕府二代将軍徳川秀忠が造営を引き継いだ^_^
国宝に指定されている三門は、徳川秀忠の寄進によって造営され、1633年の火災の難を逃れて現在に至る^_^
その1633年の火災で焼失した多くの御堂は、秀忠の息子江戸幕府三代将軍徳川家光の寄進によって再建された。
国宝に指定されている本堂(御影堂)は、上記1633年の火災の後に徳川家光の寄進によって造営され、ここに知恩院の信仰対象である法然の像が安置されている。
しかし、御影堂は2011年12月25日から「平成大修理」と銘打った大規模な修理工事を施工中であり、修理工事の間法然の像は集會堂(法然上人御堂)に移されている(^^;;
建仁寺
臨済宗建仁寺派の大本山寺院で、鎌倉幕府二代将軍源頼家の援助の下、南宋に渡航して臨済宗を日本に伝えたとされる僧侶栄西が、臨済宗の京都での拠点として開山した。
寺院の名は、開山された時の元号「建仁」に由来する。
応仁の乱を始め室町時代に度々火災に遭い、創建当時の建物はまったく現存していない(^^;;
六道珍皇寺は建仁寺の塔頭寺院の一つであるが、明治維新の廃仏毀釈によって建仁寺の多くの塔頭寺院が廃寺されてしまい、現在はわずか14院しか残っていない(^^;;
俵屋宗達が描いた風神雷神図は、元々は京都市右京区宇多野にある臨済宗建仁寺派の寺院「妙光寺」の再興を記念して描かれたものだが、後に建仁寺に寄贈された^_^
なお、風神雷神図は現在は京都国立博物館に寄託されており、建仁寺と妙光寺にある風神雷神図は共に複製である(^^;;
また、建仁寺と妙光寺にある複製の風神雷神図には俵屋宗達の印も落款もないが、決して贋作の意味ではなく、京都国立博物館にある本作品にも俵屋宗達の印も落款もないのだ(^^;;
閑話休題(⌒▽⌒)
京都市右京区宇多野の、妙光寺について。
妙光寺は、鎌倉時代に花山院師継が心地覚心を開山に迎えて創建された、花山院家の菩提寺が始まりとされる。
南北朝時代には、後醍醐天皇が逃れていた寺院でもあった。
しかし、応仁の乱を契機に寺院は廃れてしまった(^^;;
江戸時代に、建仁寺の三江紹益が糸屋の打它公軌の支援を得て再興し、隆盛を取り戻す^_^
風神雷神図は、これを記念して描かれた^_^
しかし、幕末にはほぼすべての塔頭が新撰組によって焼き討ちにされ、明治初期には住職が暗殺されたため寺院は急速に衰退し、廃寺寸前となる。
さらに、度重なる風水害で寺院は荒廃の一途を辿る(^^;;
2004年、大本山建仁寺の修行僧が中心となって整備が開始されたが、住職が建仁寺から派遣されるようになって復興が本格化し、現在も整備復興が継続中である。
このため、現在寺院は特別公開時を除き非公開となっている。