エアシャカールが勝った2000年の菊花賞以来、14年ぶりに現地観戦しに行くことにした^_^

初めて菊花賞を生観戦したのは、1988年のスーパークリークが勝ったレースだった^_^

1番人気は皐月賞馬ヤエノムテキで、スーパークリークは当時はまだ準オープン馬だったが、3番人気に支持された。

1着スーパークリーク(父ノーアテンション)、2着ガクエンツービート(父ハードツービート)と、バリバリの長距離血統馬のワンツーとなったが、このガクエンツービートも当時はまだ準オープン馬で、スーパークリークと共に残り2頭の枠に抽選で入った馬で、ガクエンツービートはまったくの人気薄だった(@_@)

1番人気ヤエノムテキは、父ヤマニンスキー、母の父イエローゴッドと、長距離には不向きな血統馬で、実際10着に敗れたT_T

1989年のバンブービギンから昨年のエピファネイアまで、25頭の菊花賞馬を見ると、1996年の菊花賞馬ダンスインザダークが、2003年のザッツザプレンティ、2004年のデルタブルース、2009年のスリーロールスと、3頭の菊花賞馬を輩出した。

しかし、ダンスインザダークは菊花賞を勝った代償で重度の屈腱炎を発症して電撃引退し、スリーロールスは次走の有馬記念で競走能力喪失の重度の脚部故障を発症して引退、ザッツザプレンティとデルタブルースは菊花賞の後は目立った活躍が出来なかったT_T

実は、菊花賞馬は古くからあまり種牡馬として成功した馬がおらず、平成の菊花賞を例に挙げても、ダンスインザダーク、マンハッタンカフェ、三冠馬ディープインパクト以外、種牡馬として成功した馬がいないのだ(@_@)

デルタブルースはノーザンダンサーのインブリードがあまりにも強くて、繁殖にはとても供用出来ない血統馬だったため、引退後は乗馬に転用されたし、ビッグウィークは菊花賞の後まったく勝てずに障害に転向し、引退後は乗馬に転用された。

三冠馬ナリタブライアンは、2年しか繁殖供用されずに病死したし、大好きなサッカーボーイ産駒のナリタトップロードも、3年しか繁殖供用されずに病死してしまったT_T

三冠馬オルフェーヴルの産駒がデビューするのは、早くても3年後。

ディープインパクトのように、種牡馬として成功するか?