浪商(現大体大浪商)在学中の2年春、3年春夏と3回甲子園に出場し、卒業後南海ホークスに入団して10年間プロ野球選手としてプレイした香川伸行が、昨日亡くなったことが報道されたT_T
死因は心筋梗塞と発表されているが、長く腎臓病を患っていたらしい。
香川のズングリムックリした体型が、水島新司さん原作の野球マンガ「ドカベン」の主人公山田太郎に似てることから、香川も山田太郎のあだ名である「ドカベン」と呼ばれるようになる。
いしいひさいちさん原作のマンガ「がんばれ!タブチ君」は何度か映画化されたが、香川もそのネタになった。
香川は、中日、ロッテでプレイし、横浜の監督も務めた牛島和彦と高校時代にバッテリーを組み、3年春は甲子園で2本のホームランを放って決勝戦に進出、3年夏は春の大会にアベック出場したPL学園を大阪大会決勝戦で下して甲子園に出場、3本のホームランを放ってベスト4に進出し、牛島と共に古豪浪商の名を久しぶりに甲子園に轟かせた。
1979年のドラフト会議で南海ホークスから2位で指名されて入団し、高校時代と同じ背番号2をもらう。
1980年7月、プロ入り初打席で当時の近鉄の主力投手の1人だった井本隆から日生球場の場外に飛び出す大ホームランを放つ等、早くから活躍した。
しかし、高校時代に公称95kgと言われていた体重は実際には110kg近くあったようで、プロ入り後には130kg近くにまで増えたこともあったため、毎年シーズンオフに様々なダイエットを試みる香川の姿がスポーツ新聞で報道される等、プロ野球選手としてのプレイ以外が話題になることが多くなって行った(^^;;
一発ホームランの魅力はあったが、捕手としては肩が強くなく、インサイドワークもあまり上手くなかったことから、真のレギュラー捕手にはなれず、打撃力を活かそうと一時期三塁手へのコンバートも検討された位だった。
香川の売りだったホームランも、プロ4年目の年間15本が最多で、プロ通算ホームランは78本だった。
南海がダイエーとなった1989年のシーズン終了後にプロ野球選手を引退し、その後福岡で解説者を務めていた。
長男が2006年福岡工大城東在学中に甲子園に出場し、父子鷹として話題になった。
香川は出生地は徳島県だが、高校時代は大阪市西成区に在住していた。
私も当時大阪市西成区在住で、地下鉄四つ橋線花園町駅で何度も香川の姿を見たことがあった。
今は当時とは経営母体も屋号も変わったが、香川の父親が西成区鶴見橋のスーパーの要職だったようで、「スーパー○○のボンボン息子」と呼ばれていたのだ(^^;;
香川が元プロ野球選手トリビア的な番組に出演した時、2度の離婚をする等プロ野球選手引退後波乱万丈の生活を送っていたことや、2001年に急性腎不全を患ったことを語っていた。
急性腎不全を患ったと言うから、以後人工透析をしながら生活していたと思われる。
ドカベン香川のあまりにも早い死に、合掌T_T m(_ _)m