JRAは、中央競馬発足60周年を記念して、多大かつ顕著な貢献者を顕彰者として記録し、その名誉を称えると発表した。
調教師は通算1000勝以上で、かつG1を5勝以上挙げた方、騎手は通算2000勝以上で、かつG1を10勝以上挙げた方を基準としたようだ。
調教師部門では、伊藤雄二元調教師と松山康久元調教師、騎手部門では岡部幸雄元騎手、河内洋元騎手(現調教師)、郷原洋行元騎手(元調教師)、柴田政人調教師(現調教師)と、計6名が選出された。
伊藤雄二元調教師は、マックスビューティ、シャダイカグラ、ダイイチルビー、エアグルーヴ、ファインモーション、エアメサイア等、歴史に残る牝馬を多数輩出した他、ハードバージで皐月賞を、ウイニングチケットでダービーを制した。
ウイニングチケットの鞍上は柴田政人騎手で、調教師、騎手双方にとっての念願だったダービー制覇は、今も鮮明に覚えている。
松山康久元調教師は、三冠馬ミスターシービーを輩出した他、ウィナーズサークルでダービーを制し、父松山吉三郎元調教師と共に、ダービーを二度制した。
また、ジェニュインで皐月賞とマイルチャンピオンシップを制した。
今年2月末を持って調教師を定年退職し、退職後は競馬評論家として引っ張りだこだ。
ウィナーズサークルの鞍上は郷原洋行騎手で、郷原騎手もダービーを二度制した。
岡部幸雄元騎手は、皇帝シンボリルドルフで三冠騎手となった他、菊花賞、春の天皇賞と、騎手の手腕が問われる長距離G1レースを共に3勝した以外にも、数多くのG1レースを制した。
皇帝シンボリルドルフと、そのファーストクロップのトウカイテイオー両方で、ジャパンカップを制した。
今は、競馬評論家として活動している。
河内洋調教師は、現役騎手時代に3歳クラシック5冠レースをすべて制し、メジロラモーヌで牝馬三冠騎手となった他、メジロラモーヌ、アラホウトク、アグネスフローラ、ニシノフラワーと隔年で桜花賞を勝ち、牝馬で数多くのG1レースを制した。
アグネスレディーでオークスを、レディーの仔アグネスフローラで桜花賞を、フローラの仔アグネスフライトでダービーを、フライトの全弟アグネスタキオンで皐月賞を制し、競馬はブラッドスポーツを絵に描いた快挙を成し遂げた。
ハシハーミットで菊花賞を勝った時は2着がハシクランツで、管理調教師が共に内藤繁春調教師、しかも同じ馬主さんの所有馬のワンツーとなり、過去2例しかないG1レースでのダブル親子丼を達成した。
またアラホウトクで桜花賞を勝った時は2着がシヨノロマンで、管理調教師が共に庄野穂積調教師、しかもシヨノロマンに騎乗していたのが同じ武田作十郎調教師門下の弟弟子武豊騎手と、兄弟弟子でのG1レースでの親子丼と言う珍記録も達成した。
元祖マイルの申し子ニホンピロウイナーの鞍上も、河内洋調教師だった。
河内調教師の初めての弟子である岩崎翼騎手には、師匠のいいところを受け継いだ騎手になって欲しい。
郷原洋行元騎手は、オペックホースとウィナーズサークルでダービーを制し、数少ないダービーを二回以上勝った騎手の1人である。
芦毛馬はクラシックを勝てないと言うジンクスを、プレストウコウで菊花賞を勝って破ったのが郷原騎手だったし、現時点では唯一の芦毛のダービー馬であるウィナーズサークルの手綱を取ったのも郷原騎手だった。
河内騎手とは対照的に、剛腕郷原と呼ばれて、G1レースはすべて牡馬で制した。
柴田政人調教師は、現役騎手時代から義理人情を重んじることで知られ、周りからの信頼が非常に厚い。
伊藤雄二調教師が管理したウイニングチケットでダービーを制した他、シンザンの仔ミホシンザンで皐月賞、菊花賞、春の天皇賞を、所属した高松厩舎では父高松三太調教師が管理したファンタストで皐月賞を、息子高松邦男調教師が管理したブロケードで桜花賞を勝つ等、数多くのG1レースを制した。
寺山修司さんのエッセイになった、柴田政人騎手と高松三太調教師が管理したアローエクスプレスとのエピソードは、昔の競馬ファンは知らない人はいないほどに有名だ。
調教師となってからは厩舎から石橋脩騎手を輩出し、人材育成にも熱心に取り組んでいる。
ホースマンにとってダービーが特別な位置付けのレースであることは、どの調教師、騎手も異口同音に話す。
スペシャルウィーク、アドマイヤベガ、タニノギムレット、ディープインパクト、キズナと、ダービーを5勝してる武豊騎手は、ダービーは騎手をやる内に何勝でもしたいと言ってはばからない。
柴田政人調教師は、ウイニングチケットでダービーを勝った翌1994年、府中でのレースで騎乗馬が脚部故障で転倒した落馬事故に遭い、その後遺症で騎手を引退せざるを得なくなったが、当時「騎手に未練がないと言えばウソになるが、ウイニングチケットでダービーを勝ったからこそ、騎手を辞める踏ん切りがついた。」と引退の心境を述べた。
伊藤雄二調教師は名牝を多数輩出したが、やはり調教師をやっている間に是非ともダービーを勝ちたいと言い、騎手として同じ思いが強かった柴田政人騎手をウイニングチケットの鞍上に指名し、函館での新馬戦からダービーまで、全レースで騎乗させた。
伊藤雄二調教師、柴田政人騎手の両者がウイニングチケットで悲願のダービーを勝ち、東京競馬場が異様なまでに盛り上がったことは言うまでもなかった。
河内洋調教師は、騎手をやる以上は絶対にダービーを勝ちたいと公言していたが、アグネスフライトでダービーを勝ち、悲願を達成したことで調教師への転身を考えたそうだ。
しかし、弟アグネスタキオンが出現したことで、タキオンでもう一度ダービーを勝ちたいと思い、騎手引退を先延ばしにしたとか。
タキオンは無敗の皐月賞馬となるも、ダービーへ向けた調教中に重度の屈腱炎を発症して電撃引退した。
タキオンの引退が、河内洋調教師に騎手引退、調教師転向を決意させたと述べた。
岡部騎手は、皇帝ルドルフでダービーを勝てなかったなら、ダービーを勝つチャンスは二度と巡って来ないと思ったと言う。
実際、岡部騎手はダービーをルドルフで一度勝っただけで、2着がすごく多かった。
メジロラモーヌの弟メジロアルダンでのダービーでは、サクラチヨノオーの鞍上小島太騎手(現調教師)のダービー勝ちへの執念に、ハナ差で負けたと述べた。
安田隆行騎手(現調教師)が乗ったルドルフの仔トウカイテイオーに敗れたレオダーバンでのダービーでは、テイオーに乗っていた安田隆行騎手のことをうらやましく思ったらしい。
極めつけは、ビワハヤヒデ、エアダブリン、ジェニュインと、3年連続ダービー2着T_T
ビワハヤヒデでのダービーでは、ウイニングチケットの鞍上柴田政人騎手(現調教師)のダービー勝ちへの執念に敗れたと言い、エアダブリンでのダービーでは、あの化け物(ナリタブライアン)に勝てる馬は現世代にはいないと言い、ブライアンと南井騎手が三冠を取ると心の中で思っていたようだし、ジェニュインでのダービーでは、タヤスツヨシの鞍上小島貞博騎手(故人)とのダービー2勝目争いに敗れたと言い、ダービー2勝目への執念は失せるどころか、益々強まったと言う。
21世紀に入り、シンボリクリスエスでのダービーでは、タニノギムレットの2着。
数年後、岡部騎手は体調不良で自身が思い描いたレースが出来ないとして、1年以上騎乗を休んだ。
一度カムバックを果たしたものの、「王貞治さんが、王貞治の打撃が出来なくなったと自身が悟って現役引退を決意したように、私岡部幸雄も、岡部幸雄の騎乗が出来なくなったと自身が悟り、引退を決意した。」と述べた。
岡部さんは騎手引退時に、もしルドルフでダービーを勝ってなかったなら、私はダービー2着6回が後々の語り草になる騎手になっていただろうと自嘲気味に話し、ルドルフでダービーを勝てて、本当によかったとも話した。
この度顕彰された6名にとって、ダービーが特別な位置付けのレースであったように、現役の調教師、騎手にとっても、ダービーが特別な位置付けのレースであることには変わりない。
調教師は通算1000勝以上で、かつG1を5勝以上挙げた方、騎手は通算2000勝以上で、かつG1を10勝以上挙げた方を基準としたようだ。
調教師部門では、伊藤雄二元調教師と松山康久元調教師、騎手部門では岡部幸雄元騎手、河内洋元騎手(現調教師)、郷原洋行元騎手(元調教師)、柴田政人調教師(現調教師)と、計6名が選出された。
伊藤雄二元調教師は、マックスビューティ、シャダイカグラ、ダイイチルビー、エアグルーヴ、ファインモーション、エアメサイア等、歴史に残る牝馬を多数輩出した他、ハードバージで皐月賞を、ウイニングチケットでダービーを制した。
ウイニングチケットの鞍上は柴田政人騎手で、調教師、騎手双方にとっての念願だったダービー制覇は、今も鮮明に覚えている。
松山康久元調教師は、三冠馬ミスターシービーを輩出した他、ウィナーズサークルでダービーを制し、父松山吉三郎元調教師と共に、ダービーを二度制した。
また、ジェニュインで皐月賞とマイルチャンピオンシップを制した。
今年2月末を持って調教師を定年退職し、退職後は競馬評論家として引っ張りだこだ。
ウィナーズサークルの鞍上は郷原洋行騎手で、郷原騎手もダービーを二度制した。
岡部幸雄元騎手は、皇帝シンボリルドルフで三冠騎手となった他、菊花賞、春の天皇賞と、騎手の手腕が問われる長距離G1レースを共に3勝した以外にも、数多くのG1レースを制した。
皇帝シンボリルドルフと、そのファーストクロップのトウカイテイオー両方で、ジャパンカップを制した。
今は、競馬評論家として活動している。
河内洋調教師は、現役騎手時代に3歳クラシック5冠レースをすべて制し、メジロラモーヌで牝馬三冠騎手となった他、メジロラモーヌ、アラホウトク、アグネスフローラ、ニシノフラワーと隔年で桜花賞を勝ち、牝馬で数多くのG1レースを制した。
アグネスレディーでオークスを、レディーの仔アグネスフローラで桜花賞を、フローラの仔アグネスフライトでダービーを、フライトの全弟アグネスタキオンで皐月賞を制し、競馬はブラッドスポーツを絵に描いた快挙を成し遂げた。
ハシハーミットで菊花賞を勝った時は2着がハシクランツで、管理調教師が共に内藤繁春調教師、しかも同じ馬主さんの所有馬のワンツーとなり、過去2例しかないG1レースでのダブル親子丼を達成した。
またアラホウトクで桜花賞を勝った時は2着がシヨノロマンで、管理調教師が共に庄野穂積調教師、しかもシヨノロマンに騎乗していたのが同じ武田作十郎調教師門下の弟弟子武豊騎手と、兄弟弟子でのG1レースでの親子丼と言う珍記録も達成した。
元祖マイルの申し子ニホンピロウイナーの鞍上も、河内洋調教師だった。
河内調教師の初めての弟子である岩崎翼騎手には、師匠のいいところを受け継いだ騎手になって欲しい。
郷原洋行元騎手は、オペックホースとウィナーズサークルでダービーを制し、数少ないダービーを二回以上勝った騎手の1人である。
芦毛馬はクラシックを勝てないと言うジンクスを、プレストウコウで菊花賞を勝って破ったのが郷原騎手だったし、現時点では唯一の芦毛のダービー馬であるウィナーズサークルの手綱を取ったのも郷原騎手だった。
河内騎手とは対照的に、剛腕郷原と呼ばれて、G1レースはすべて牡馬で制した。
柴田政人調教師は、現役騎手時代から義理人情を重んじることで知られ、周りからの信頼が非常に厚い。
伊藤雄二調教師が管理したウイニングチケットでダービーを制した他、シンザンの仔ミホシンザンで皐月賞、菊花賞、春の天皇賞を、所属した高松厩舎では父高松三太調教師が管理したファンタストで皐月賞を、息子高松邦男調教師が管理したブロケードで桜花賞を勝つ等、数多くのG1レースを制した。
寺山修司さんのエッセイになった、柴田政人騎手と高松三太調教師が管理したアローエクスプレスとのエピソードは、昔の競馬ファンは知らない人はいないほどに有名だ。
調教師となってからは厩舎から石橋脩騎手を輩出し、人材育成にも熱心に取り組んでいる。
ホースマンにとってダービーが特別な位置付けのレースであることは、どの調教師、騎手も異口同音に話す。
スペシャルウィーク、アドマイヤベガ、タニノギムレット、ディープインパクト、キズナと、ダービーを5勝してる武豊騎手は、ダービーは騎手をやる内に何勝でもしたいと言ってはばからない。
柴田政人調教師は、ウイニングチケットでダービーを勝った翌1994年、府中でのレースで騎乗馬が脚部故障で転倒した落馬事故に遭い、その後遺症で騎手を引退せざるを得なくなったが、当時「騎手に未練がないと言えばウソになるが、ウイニングチケットでダービーを勝ったからこそ、騎手を辞める踏ん切りがついた。」と引退の心境を述べた。
伊藤雄二調教師は名牝を多数輩出したが、やはり調教師をやっている間に是非ともダービーを勝ちたいと言い、騎手として同じ思いが強かった柴田政人騎手をウイニングチケットの鞍上に指名し、函館での新馬戦からダービーまで、全レースで騎乗させた。
伊藤雄二調教師、柴田政人騎手の両者がウイニングチケットで悲願のダービーを勝ち、東京競馬場が異様なまでに盛り上がったことは言うまでもなかった。
河内洋調教師は、騎手をやる以上は絶対にダービーを勝ちたいと公言していたが、アグネスフライトでダービーを勝ち、悲願を達成したことで調教師への転身を考えたそうだ。
しかし、弟アグネスタキオンが出現したことで、タキオンでもう一度ダービーを勝ちたいと思い、騎手引退を先延ばしにしたとか。
タキオンは無敗の皐月賞馬となるも、ダービーへ向けた調教中に重度の屈腱炎を発症して電撃引退した。
タキオンの引退が、河内洋調教師に騎手引退、調教師転向を決意させたと述べた。
岡部騎手は、皇帝ルドルフでダービーを勝てなかったなら、ダービーを勝つチャンスは二度と巡って来ないと思ったと言う。
実際、岡部騎手はダービーをルドルフで一度勝っただけで、2着がすごく多かった。
メジロラモーヌの弟メジロアルダンでのダービーでは、サクラチヨノオーの鞍上小島太騎手(現調教師)のダービー勝ちへの執念に、ハナ差で負けたと述べた。
安田隆行騎手(現調教師)が乗ったルドルフの仔トウカイテイオーに敗れたレオダーバンでのダービーでは、テイオーに乗っていた安田隆行騎手のことをうらやましく思ったらしい。
極めつけは、ビワハヤヒデ、エアダブリン、ジェニュインと、3年連続ダービー2着T_T
ビワハヤヒデでのダービーでは、ウイニングチケットの鞍上柴田政人騎手(現調教師)のダービー勝ちへの執念に敗れたと言い、エアダブリンでのダービーでは、あの化け物(ナリタブライアン)に勝てる馬は現世代にはいないと言い、ブライアンと南井騎手が三冠を取ると心の中で思っていたようだし、ジェニュインでのダービーでは、タヤスツヨシの鞍上小島貞博騎手(故人)とのダービー2勝目争いに敗れたと言い、ダービー2勝目への執念は失せるどころか、益々強まったと言う。
21世紀に入り、シンボリクリスエスでのダービーでは、タニノギムレットの2着。
数年後、岡部騎手は体調不良で自身が思い描いたレースが出来ないとして、1年以上騎乗を休んだ。
一度カムバックを果たしたものの、「王貞治さんが、王貞治の打撃が出来なくなったと自身が悟って現役引退を決意したように、私岡部幸雄も、岡部幸雄の騎乗が出来なくなったと自身が悟り、引退を決意した。」と述べた。
岡部さんは騎手引退時に、もしルドルフでダービーを勝ってなかったなら、私はダービー2着6回が後々の語り草になる騎手になっていただろうと自嘲気味に話し、ルドルフでダービーを勝てて、本当によかったとも話した。
この度顕彰された6名にとって、ダービーが特別な位置付けのレースであったように、現役の調教師、騎手にとっても、ダービーが特別な位置付けのレースであることには変わりない。