一昨日、鈴鹿サーキットで行われた2&4。

2&4とは、2輪の全日本ロードレース選手権と4輪の全日本F2→F3000選手権を同日開催し、2輪レースファンは4輪レースに、4輪レースファンは2輪レースに興味を持ってもらおうと始まったものだった。

1990年代のF1と8耐を頂点としたモータースポーツブームで、全日本ロードレース選手権、全日本F3000選手権→フォーミュラニッポンに多くの観客が集まり、2&4の役目は終わったとして、それぞれ単独でレースが開催されるようになった。

しかし、全日本ロードレース選手権は、世界的にバイクが売れなくなった影響をもろに受けて日本4大メーカーのホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキ全社の収益が悪化したため、メーカーのワークスチームがすべて撤退し、現在は全チームがプライベーターとなった。

また、フォーミュラニッポンは国際レースがF3000からF3へと変わって行ったにも拘らず、運輸省→国土交通省の天下り集団でしかなかったJRP(Japan Race Promotion)がF3000レースをダラダラとやり続けたため、世界的に見て極めて特異なカテゴリーとなり、F1やインディ•カーのドライバーを目指す日本人ドライバーがフォーミュラニッポンをステップとせずに、始めからヨーロッパ、アメリカに渡るようになる等で、参戦するチーム、ドライバーは減少の一途をたどって行った。

21世紀に入って復活した2&4は、全日本ロードレース選手権、フォーミュラニッポンの興行を単独で開催しても観客が集まらなくなったため、両方のレース興行をまとめて開催するようになった、窮余の策だったのだ。

全日本ロードレース選手権には排気量の違いにより細分化されたレースカテゴリーがあるが、開幕戦となった2&4では、時間の制約上最高峰のJSB1000クラスのレースのみ行われた。

また、4輪レースはフォーミュラニッポンからジャパンスーパーフォーミュラと名が変わり、シングル•シーターのオープン•ホイール•カーのレースに変わりはないが、レギュレーションが一新されて、まったく別のカテゴリーのレースとなった。

最盛期には、フォーミュラニッポンは年10レース(鈴鹿で3レース、富士、茂木、美祢で2レース、菅生で1レース)開催されていたが、今や年7レース(鈴鹿、富士で2レース、茂木、菅生、オートポリスで1レース)にまで減少した。

ジャパンスーパーフォーミュラは、今後の動向を見守るとして、全日本ロードレース選手権は、J SPORTSでレースを放映してもらうように働きかける等でマスメディアに取り上げてもらえるようにならないと、昔のように黙っていても多くの観客が集まっていた頃と同じような感覚で、かつての栄華にしがみついてレース興行を続けたら、フォーミュラニッポンの二の舞になってしまう。

フォーミュラニッポン、全日本ロードレース選手権の興行母体と同じように、かつての栄華にしがみついてレース興行をダラダラと続けている団体がある。

日本中央競馬会だ。