昨日のグリーンチャンネルの兵庫ゴールドトロフィーの実況は、司会がさやねぇで、解説が辻三蔵さんだった。
さやねぇと辻さんの会話で、有馬記念の日の中山競馬場から、帰るのが大変だったと言う話があった。
有馬記念の日の中山競馬場の入場者は、12万人だったようだ。
しかし、オグリキャップのラストランとなった1990年の有馬記念当日の入場者は18万人だったし、1980年代後半から1990年代前半は、G1レースが開催されない日であっても15万人~17万人の入場者はザラだった。
有馬記念当日、12万人の入場者の内、半分の6万人がオルフェーヴルの引退式を見てから、残り半分の6万人がレース終了後に帰途についたようだが、中山競馬場から一番近い、武蔵野線の船橋法典駅で混雑のため改札規制が行われ、ホームに入場するのに1時間半かかったらしい。
競馬場周辺道路も大渋滞で、有馬記念当日中山競馬場に行っていたというさやねぇは、西船橋駅まで歩いて帰ったとか。
船橋法典駅での改札規制や、競馬場周辺道路の大渋滞は、昔は当たり前だった。
中山競馬場周辺の道路は一本道で、馬運車、京成線東中山駅&西船橋駅へのバス、タクシー等、全部この一本道を走るため、全然車が動かなかったのだ。
中山競馬場から帰る時は、20~25分歩いて京成線東中山駅へ行くか、30~40分歩いて総武線、メトロ東西線の西船橋駅、総武線下総中山駅へ行くのが、一番早く帰る方法だった。
中山競馬場は、このアクセスの悪さがいつも取り沙汰されていた。
私が中山競馬場に約10年も行ってないのは、1990年代前半に中山牝馬ステークス、中山記念、日経賞を見に行く機会があったが、東京都心から遠い、駅から遠い、競馬場内は激混みと言う三重苦に嫌気が差して、G1なんてとんでもないと思ったからだ。
中山競馬場には2004年1月に中山大障害を見に行って以来行ったことがないし、足の悪さを押してまで行こうとも思わない。
何で1月に中山大障害?
2003年12月に行われる予定だった中山大障害は、当日積雪のために平地競走はすべてダート変更され、中山大障害は中止、順延されて、2004年1月に行われた。
1990年代前半は、ハイセイコーが走っていた1970年代前半から中盤同様、ダービー、有馬記念、天皇賞•春、菊花賞は、一般入場券をすべて前売りにして、入場規制していた。
指定席は、抽選販売だった。
ここ15年の競馬しか知らない方には信じられないかも知れないが、ダービー当日の東京競馬場、有馬記念当日の中山競馬場、天皇賞•春、菊花賞当日の京都競馬場では、入場券は一切発売されていなかった。
有馬記念当日の中山競馬場には行ったことがないが、ダービー当日の京王線府中競馬正門前駅&JR府中本町駅、天皇賞•春&菊花賞当日の京阪電車淀駅周辺には、一般入場券を手に持ったダフ屋がウロチョロしていたのだ。
京都競馬場の入場者レコードが1991年の金杯の日に記録されたのは、天皇賞•春、菊花賞当日に入場規制が行われていたことも要因の一つなのだ。