父方の祖母は、1995年5月に死没した。


そう。


阪神淡路大震災が発生した年だ。


祖母危篤の知らせが届いた時も、子(父、叔父叔母)の対応はバラバラ。


個人タクシーの運転手をしていた叔父は、火曜日夜に祖母危篤の知らせを聞いて水曜日にいち速く祖母の元に駆けつけて激励した後、木曜日には仕事に戻る。


自営の叔母は、契約先との依頼を優先し、土曜日に帰郷する手配をした。


どっちつかずだったのが、私の父だった。


自営業者とは違い、所詮雇われ人なのだから、仕事を休んで祖母の元へ駆けつけろと、再三私と当時まだ生きていた母親が説得するも、事の重大さが理解出来なかったのか、叔母と一緒に行動すると言う始末プンプン


祖母が没したのは金曜日だった。


叔父は木曜日に仕事に戻ったが、金曜日に再度帰郷した。


自営の叔母は、母親の元に電話をかけてきて、後悔の念を述べて、号泣していたと言う。


父も祖母の訃報を聞いて帰宅し、叔母の慟哭を電話で聞いていた。


さらに、弟が転勤で大阪本社勤務となった矢先の祖母の訃報だったので、母は弟の新居への手伝いをしなければならなかった。


私は祖母の訃報を聞いて、すぐに勤務先に忌休を届け出て、自身の航空券の手配に走った。


孫として、祖母の葬儀に参列するためだった。


そして、ウチの家庭のドタバタも分かっていたので、母親の代行をするつもりだった。


その年、初盆の法要が行われた。


関西から出席したのは、私と両親だけだった。


弟にも行くかと打診したが、生後1年しか経たない子がいたので、辞退した。


父の故郷では、母はヒロイン扱いだった。


故郷の兄嫁さん達は「義理の母の死と自分の息子の将来なら、息子を優先するのが当たり前だ。もう一人の息子(=私)に、代わりを務めさせた機転も素晴らしい。」と言われたらしい。


また「お葬式の時には皆来るが、初盆法要の時は来ないもの。人が来ない時に来る人が、歓迎されるものだ。」と、母親は父の故郷の観光名所巡りをさせてもらったのだった。


お葬式の時は、やいのやいの言うメディアも、ほとぼりが冷めれば放ったらかしになる。


宇多田ヒカルが本当の意味で、母藤圭子さんを失った悲しみにくれるのはこの後なのかも知れないが、もう人目を気にする必要もないと思われるので、思うがままに悲しみにくれて欲しいしょぼん