早鞆(山口)2
智弁学園(奈良)5
近畿チャンピオンの智弁が5回裏に5点取り、そのまま押し切った。
先制したのは早鞆で、4回表に4番木村君の適時二塁打で1点を挙げた。
5回裏、智弁は二死満塁のチャンスにエースで3番を打つ青山君の適時打で2点を取って逆転し、4番小野君のスリーランホームランで3点を追加した。
8回表、早鞆は1番中村君の適時打で1点を返すも、ここまでが精一杯だった。
墓場に仕事をしに行くため、途中までしかテレビ観戦出来なかったが、大越監督は初陣を飾れなかったのですね。
智弁は、夏の大会は5出場機会連続で緒戦を突破しているが、春の大会は山口(元近鉄)を擁してベスト4に進出して以来、実に35年ぶりの緒戦突破となった。
今日は国会中継のため、NHKの高校野球中継は終日教育テレビで放映されていたが、実況担当の小野塚アナウンサーが早鞆高校について詳しく話していた。
早鞆は1964年の夏の大会に初出場し、決勝戦まで勝ち上がったが、決勝戦で今日横浜に敗れた高知に敗れ、準優勝に終わった。
その前の年、同じ山口県下関市の下関商が決勝戦まで勝ち上がったが、決勝戦で明星(大阪)に敗れ、準優勝に終わった。
この時の下商のエースが、プロ野球黒い霧事件で球界から永久追放された、元西鉄ライオンズの池永さんだった。
早鞆は1966年、1967年の夏の大会にも山口代表として出場したが、いずれも緒戦敗退だった。
演歌歌手山本譲二は、1967年の夏の大会に出場したが、レギュラーではなく代打での出場だったようで、ヒットを打ったらしい。
この年は、緒戦で松商学園(長野)に敗れた。
以来、春夏通じて実に45年ぶりの甲子園出場だったのだ。
元プロ野球選手は、基本的には教職に就いた人に限り、高校野球の指導者になることが認められている。
かつて「山びこ打線」と呼ばれる強打線を作り、泣く子も黙る強さを誇った池田(徳島)を率いた蔦文也監督(故人)も元はプロ野球選手だったが、現役引退後教職に就き、野球部監督になった。
大越監督が、仙台育英のエースとして甲子園に出た時のことはよく覚えている。
マウンド上で喜怒哀楽をハッキリ表情に出すので、あまり投手には向いてないのではと思ったが、それが大越監督のキャラだった。
準々決勝で上宮(大阪)と対戦し、元木(元巨人)にホームランを打たれる等で2-5で敗れた時は、悔しさを前面に出していた。
夏の大会も同じ準々決勝で上宮と対戦し、この時は10-2で勝ったが、夏はあまり喜怒哀楽を表情に出さなくなっており、ずいぶん大人になったなあと思った。
まさか、宮城県仙台市からはるか遠い山口県下関市の高校で先生&野球部監督になるとは、大越監督自身も思っていなかっただろう。
今日は大越監督の高校時代の師匠で、今は東京の大学の野球部総監督を務める、竹田監督が甲子園に来ていた。
竹田監督も、仙台育英の監督になる前はライバルだった東北の監督で、大魔人佐々木(元横浜、シアトルマリナーズ)の師匠でもあり、佐々木を擁して夏の大会ベスト8に進出した翌年、仙台育英の監督になった。
ちなみに佐々木を擁した東北は、準々決勝でミラクル甲西(滋賀)にサヨナラで敗れた。
大越監督は、スポーツ枠で早稲田大学に進んだものの、野球部を退部(大学を中途退学)し、後にダイエーホークスに入団してプロ野球選手になったが、途中で投手を断念し、打者に転向したのだ。
ダイエーを退団し、プロ野球選手を引退した後の大越監督の動向についてはまったく知らなかったが、まさか大学に再入学して高校の先生になり、高校野球の指導者になっていたとは。
2009年に早鞆高校の先生になり、野球部監督に就任したらしいので、4年目で45年間眠っていたチームを甲子園に導いたのだから、やはりすごい。
大越監督には早鞆高校を強くするだけでなく、近年低迷する山口の高校野球のレベル再向上にも貢献していただきたい。
智弁学園(奈良)5
近畿チャンピオンの智弁が5回裏に5点取り、そのまま押し切った。
先制したのは早鞆で、4回表に4番木村君の適時二塁打で1点を挙げた。
5回裏、智弁は二死満塁のチャンスにエースで3番を打つ青山君の適時打で2点を取って逆転し、4番小野君のスリーランホームランで3点を追加した。
8回表、早鞆は1番中村君の適時打で1点を返すも、ここまでが精一杯だった。
墓場に仕事をしに行くため、途中までしかテレビ観戦出来なかったが、大越監督は初陣を飾れなかったのですね。
智弁は、夏の大会は5出場機会連続で緒戦を突破しているが、春の大会は山口(元近鉄)を擁してベスト4に進出して以来、実に35年ぶりの緒戦突破となった。
今日は国会中継のため、NHKの高校野球中継は終日教育テレビで放映されていたが、実況担当の小野塚アナウンサーが早鞆高校について詳しく話していた。
早鞆は1964年の夏の大会に初出場し、決勝戦まで勝ち上がったが、決勝戦で今日横浜に敗れた高知に敗れ、準優勝に終わった。
その前の年、同じ山口県下関市の下関商が決勝戦まで勝ち上がったが、決勝戦で明星(大阪)に敗れ、準優勝に終わった。
この時の下商のエースが、プロ野球黒い霧事件で球界から永久追放された、元西鉄ライオンズの池永さんだった。
早鞆は1966年、1967年の夏の大会にも山口代表として出場したが、いずれも緒戦敗退だった。
演歌歌手山本譲二は、1967年の夏の大会に出場したが、レギュラーではなく代打での出場だったようで、ヒットを打ったらしい。
この年は、緒戦で松商学園(長野)に敗れた。
以来、春夏通じて実に45年ぶりの甲子園出場だったのだ。
元プロ野球選手は、基本的には教職に就いた人に限り、高校野球の指導者になることが認められている。
かつて「山びこ打線」と呼ばれる強打線を作り、泣く子も黙る強さを誇った池田(徳島)を率いた蔦文也監督(故人)も元はプロ野球選手だったが、現役引退後教職に就き、野球部監督になった。
大越監督が、仙台育英のエースとして甲子園に出た時のことはよく覚えている。
マウンド上で喜怒哀楽をハッキリ表情に出すので、あまり投手には向いてないのではと思ったが、それが大越監督のキャラだった。
準々決勝で上宮(大阪)と対戦し、元木(元巨人)にホームランを打たれる等で2-5で敗れた時は、悔しさを前面に出していた。
夏の大会も同じ準々決勝で上宮と対戦し、この時は10-2で勝ったが、夏はあまり喜怒哀楽を表情に出さなくなっており、ずいぶん大人になったなあと思った。
まさか、宮城県仙台市からはるか遠い山口県下関市の高校で先生&野球部監督になるとは、大越監督自身も思っていなかっただろう。
今日は大越監督の高校時代の師匠で、今は東京の大学の野球部総監督を務める、竹田監督が甲子園に来ていた。
竹田監督も、仙台育英の監督になる前はライバルだった東北の監督で、大魔人佐々木(元横浜、シアトルマリナーズ)の師匠でもあり、佐々木を擁して夏の大会ベスト8に進出した翌年、仙台育英の監督になった。
ちなみに佐々木を擁した東北は、準々決勝でミラクル甲西(滋賀)にサヨナラで敗れた。
大越監督は、スポーツ枠で早稲田大学に進んだものの、野球部を退部(大学を中途退学)し、後にダイエーホークスに入団してプロ野球選手になったが、途中で投手を断念し、打者に転向したのだ。
ダイエーを退団し、プロ野球選手を引退した後の大越監督の動向についてはまったく知らなかったが、まさか大学に再入学して高校の先生になり、高校野球の指導者になっていたとは。
2009年に早鞆高校の先生になり、野球部監督に就任したらしいので、4年目で45年間眠っていたチームを甲子園に導いたのだから、やはりすごい。
大越監督には早鞆高校を強くするだけでなく、近年低迷する山口の高校野球のレベル再向上にも貢献していただきたい。