関西人を、恐怖と失意のどん底に陥れた阪神淡路大震災から、今朝5時46分に17年を迎えた。


しかしながら、月日の経過と共に薄れつつあった記憶が、昨年の東日本大震災の被害の映像を見て鮮明によみがえったのだった。


阪神淡路大震災は、淡路島が震源となった陸地直下型地震で、大きな揺れによって住宅やビル等の建築物だけでなく、高速道路や鉄道高架軌道等の土木構造物が倒壊すると言う、信じ難い光景を目の当たりにした。


その後二次的に発生した火災で、神戸市長田区や東灘区等、戦後の焼け野原同様になったところもあった。


震災発生から約10日後、阪神電車が神戸市東灘区の青木(おおぎ)駅まで路線を復旧し、大阪市内~阪神間各都市~神戸市内が結ばれたが、青木駅の南側はスプリンクラー設備があったスーパーマーケットとパチンコ屋以外の建物がすべて焼失して、焼け野原と化していた。


東日本大震災は、太平洋の海底を震源とし、それによる大津波が東北から関東に至る広い範囲を飲み込み、街すべてが津波に根こそぎ押し流されると言う、信じ難い光景を目の当たりにした。


原子力発電所の五重の安全装置もすべて津波で押し流され、丸裸になって炉心溶融と言う最悪の事態となってしまった。


その後の被災者の救援において、阪神淡路大震災の教訓が活かされたところと、活かされなかったところがあった。


阪神淡路大震災では、30km東の大阪がさほど被害を受けなかったので、しばらくは大阪市に復興の拠点が置かれたが、道路や鉄道が復旧してから、兵庫県各市等の被災地に拠点が置かれるようになった。


しかし、東日本大震災では被害が甚大なだけでなく、被災地が余りにも広大すぎて、どこも拠点にすることが出来ない状況に陥り、結局被害を受けた各県に拠点が置かれるようになった。


阪神淡路大震災が起きるまでは、私の記憶で震度6~7と言う数字を見ることはほとんどなかったが、以降国内外で震度6を超える大地震による被害が多く発生するようになったような気がする。


30年以内に起きると言われている東海地震、南海地震、これが複合されるかも知れない東南海地震への対策が万全かと言うと、そうは言えない。


太平洋から紀伊水道経由で大阪湾に大津波が押し寄せて上町台地をも飲み込み、大阪市が根こそぎ押し流される可能性すらある。


阪神間から神戸、東北から関東の被害は、決して対岸の火事ではないのだ。