メチャメチャ懐かしい写真を…。
1988年、南海がホークスをダイエーに売却することを発表し、南海ホークスとして最後の本拠地大阪球場での試合となった、対近鉄バファローズ戦の試合終了直後のスコアボードである。
6-4で南海が勝ち、西武と優勝争いをしていた近鉄は、痛い星を落としてこの年優勝できなかった。
写真では見にくいので、このオーダーを列記しよう。
懐かしい選手の名前ばかりが出て来ますよ。
近鉄
4 大石
8 新井
7 ブライアント
DH オグリビー
9 鈴木
3 羽田
5 吹石
H 栗橋
H 淡口
P 木下
南海
3 河埜
6 湯上谷
8 佐々木
DH 門田
7 山本
9 岸川
2 吉田博
5 藤本博
4 森脇
P 井上
審判
PL 村田
1 前田
2 永見
3 牧野
L 柿木園
R 藤本
当時南海ホークスを率いていたのは杉浦忠監督、近鉄バファローズを率いていたのは仰木彬監督で、共に既に故人となっている。
今はいない、線審もいた。
今も球界にいるのは、近鉄の斬り込み隊長だった大石選手で、今のソフトバンクホークスのコーチだけ?である。
近鉄の吹石選手の愛娘が、女優の吹石一恵なのだが、当時吹石一恵はプロ野球選手の娘であることが話題になっていた。
今は、逆に吹石一恵の父親がプロ野球選手だったことを知らない人もいるだろう。
ちなみに、スコアボードの建物は難波の場外馬券売場で、球場のスタンドの下部も場外馬券売場だった。
1977年シーズン終了後、野村克也監督兼選手が解任されて選手としてロッテに移り、野村監督一派だった江夏(→広島)、柏原(→日本ハム)、片平(→西武)、新井(→近鉄。このスコアボードにも名を連ねている)等の主力選手が軒並みトレードで放出されて以降、南海ホークスは弱化の一途をたどり、土曜日、日曜日にデーゲームが開催されていてもスタンドはガラガラで、周囲の場外馬券売場の方が賑わっていた位だった。
大阪球場は取り壊されて、跡地になんばPARKS が建設され、現在に至る。
マウンドのプレートと、ホームベースがあった部分には、その旨を印すエンブレムが埋め込まれている。
近鉄は、中日ドラゴンズの二軍でくすぶっていたブライアントをただ同然の金銭トレードでシーズン途中に獲得したが、ポカスカとホームランを打ちまくり、実質3ヶ月ほどで34本もホームランを打った。
翌年、ブライアントは49本のホームランを打ってパ・リーグのホームラン王になり、当時のエースだった阿波野と共に獅子奮迅の活躍で、近鉄バファローズのパ・リーグ優勝に貢献した。
この時、優勝を決めた藤井寺球場(大阪府藤井寺市)も今は取り壊され、大学のキャンパスと住宅地になった。
そして、優勝を決めた試合の相手が、本拠地を福岡に移したダイエーホークスだった。
ホークスが本拠地を福岡に移した当時は、福岡の野球ファンになかなか受け入れられず「所詮、ホークスは大阪のチーム。福岡のチームはライオンズだ。」と言われ、ダイエーホークスより、身売りにより埼玉県所沢市に本拠地を移した西武ライオンズのファンの方が多かったことも、今では昔語りとなった。
ダイエーホークスの最初の本拠地となったのが、西鉄→太平洋クラブ→クラウンライターライオンズの本拠地だった平和台球場だが、今は取り壊されて跡形もない。
後楽園球場(読売ジャイアンツ)を始め、東京球場(ロッテオリオンズ)、川崎球場(大洋ホエールズ→ロッテオリオンズ)、日本生命球場(近鉄バファローズ)、阪急西宮球場(阪急ブレーブス→オリックスブレーブス)、広島市民球場(広島カープ)等、私がプロ野球に興味を持った時にあった球場が、今はもうなくなってしまい、中日ドラゴンズの本拠地だった中日スタジアム(→ナゴヤ球場)も、スタンドは昔の姿を留めていない。
1988年、南海がホークスをダイエーに売却することを発表し、南海ホークスとして最後の本拠地大阪球場での試合となった、対近鉄バファローズ戦の試合終了直後のスコアボードである。
6-4で南海が勝ち、西武と優勝争いをしていた近鉄は、痛い星を落としてこの年優勝できなかった。
写真では見にくいので、このオーダーを列記しよう。
懐かしい選手の名前ばかりが出て来ますよ。
近鉄
4 大石
8 新井
7 ブライアント
DH オグリビー
9 鈴木
3 羽田
5 吹石
H 栗橋
H 淡口
P 木下
南海
3 河埜
6 湯上谷
8 佐々木
DH 門田
7 山本
9 岸川
2 吉田博
5 藤本博
4 森脇
P 井上
審判
PL 村田
1 前田
2 永見
3 牧野
L 柿木園
R 藤本
当時南海ホークスを率いていたのは杉浦忠監督、近鉄バファローズを率いていたのは仰木彬監督で、共に既に故人となっている。
今はいない、線審もいた。
今も球界にいるのは、近鉄の斬り込み隊長だった大石選手で、今のソフトバンクホークスのコーチだけ?である。
近鉄の吹石選手の愛娘が、女優の吹石一恵なのだが、当時吹石一恵はプロ野球選手の娘であることが話題になっていた。
今は、逆に吹石一恵の父親がプロ野球選手だったことを知らない人もいるだろう。
ちなみに、スコアボードの建物は難波の場外馬券売場で、球場のスタンドの下部も場外馬券売場だった。
1977年シーズン終了後、野村克也監督兼選手が解任されて選手としてロッテに移り、野村監督一派だった江夏(→広島)、柏原(→日本ハム)、片平(→西武)、新井(→近鉄。このスコアボードにも名を連ねている)等の主力選手が軒並みトレードで放出されて以降、南海ホークスは弱化の一途をたどり、土曜日、日曜日にデーゲームが開催されていてもスタンドはガラガラで、周囲の場外馬券売場の方が賑わっていた位だった。
大阪球場は取り壊されて、跡地になんばPARKS が建設され、現在に至る。
マウンドのプレートと、ホームベースがあった部分には、その旨を印すエンブレムが埋め込まれている。
近鉄は、中日ドラゴンズの二軍でくすぶっていたブライアントをただ同然の金銭トレードでシーズン途中に獲得したが、ポカスカとホームランを打ちまくり、実質3ヶ月ほどで34本もホームランを打った。
翌年、ブライアントは49本のホームランを打ってパ・リーグのホームラン王になり、当時のエースだった阿波野と共に獅子奮迅の活躍で、近鉄バファローズのパ・リーグ優勝に貢献した。
この時、優勝を決めた藤井寺球場(大阪府藤井寺市)も今は取り壊され、大学のキャンパスと住宅地になった。
そして、優勝を決めた試合の相手が、本拠地を福岡に移したダイエーホークスだった。
ホークスが本拠地を福岡に移した当時は、福岡の野球ファンになかなか受け入れられず「所詮、ホークスは大阪のチーム。福岡のチームはライオンズだ。」と言われ、ダイエーホークスより、身売りにより埼玉県所沢市に本拠地を移した西武ライオンズのファンの方が多かったことも、今では昔語りとなった。
ダイエーホークスの最初の本拠地となったのが、西鉄→太平洋クラブ→クラウンライターライオンズの本拠地だった平和台球場だが、今は取り壊されて跡形もない。
後楽園球場(読売ジャイアンツ)を始め、東京球場(ロッテオリオンズ)、川崎球場(大洋ホエールズ→ロッテオリオンズ)、日本生命球場(近鉄バファローズ)、阪急西宮球場(阪急ブレーブス→オリックスブレーブス)、広島市民球場(広島カープ)等、私がプロ野球に興味を持った時にあった球場が、今はもうなくなってしまい、中日ドラゴンズの本拠地だった中日スタジアム(→ナゴヤ球場)も、スタンドは昔の姿を留めていない。