フロントロウの2番グリッドからスタートしたジェンソン・バトン(マクラーレン・メルセデス)が、11年連続11回目の出場で日本グランプリ初優勝を飾りました。


2位には、フェルナンド・アロンソ(フェラーリ)が入りました。


ポール・ポジションからスタートしたセバスチャン・フェテル(レッドブル・ルノー)は、1ポイントでも獲得(10位以内に入賞)すれば、他のドライバーの成績に関係なく、自力で史上9人目となる2年連続チャンピオンを獲得出来るチャンスでした。


フェテルは3年連続の鈴鹿での優勝こそなりませんでしたが、3位表彰台を獲得して、見事に2年連続のチャンピオンタイトルに輝きました。


世界一有名!?なあまっ子(大阪市の隣町、兵庫県尼崎市出身の人の愛称です)小林可夢偉(ザウバー)は7番グリッドからのスタートでしたが、大きく出遅れたのが響いて13位に終わり、母国グランプリでのポイント獲得はなりませんでした。


実は、F1マシンが疾走していた15時18分に大阪府南部を震源とする地震があり、大阪府和泉(いずみ)市、松原市、堺市等で震度3、サーキットのある三重県鈴鹿市でも震度1を観測したようですが、私は大阪市内に居ながら屋外で仕事をしていたためか、地震にはまったく気が付きませんでした。


アイルトン・セナ、アラン・プロスト、ネルソン・ピケ、ナイジェル・マンセル等が走っていた1980年代後半~90年代前半、鈴鹿市の人口が17~18万人だった頃には入場者数が20万人を越え、人口を上回る人が入っていましたが、その後鈴鹿市の人口が増えて22万人(大阪市では西成区の人口とほぼ同数です)になった今年の入場者数は10万人と、20年前の半数にまで減りました。


20年前は、観戦券ですら抽選に当選しないと買うことが出来ませんでしたが、今日は当日券を発売していながら、結局売れ残ったようです。


高騰した開催権と、サーキットの改装料を観戦料に上乗せした結果、かつては自由席なら1万円未満で入場できたが、今は全席指定となり最低でも2万5千円、グランドスタンドは10万円もしますので、リニューアルして以降、観客は減り続けています。


セナ、プロ時代を知る私としては、2009年以降の鈴鹿での日本グランプリは、如何にも寂しいです。


私が初めて生でF1を見に行ったのが、ちょうど10年前の2001年でしたが、当時はフェラーリにいたミハエル・シューマッハーの全盛期で、1998年と99年に2年連続鈴鹿でチャンピオンを決めたミカ・ハッキネン(マクラーレン・メルセデス)と、通算1勝にとどまりましたが、中嶋悟さんにドライバー引退を決意させたほどのアグレッシヴなドライヴィングで日本のファンを魅了したジャン・アレジ(ジョーダン)の引退レースとなったのが、この年のレースでした。


ジャン・アレジは、他のドライバーのトラブルに巻き込まれてリタイアしましたが、その原因者がその年ザウバーからデビューしたキミ・ライコネンだったのです。


キミ・ライコネンは現在はWRCで活躍してますが、マクラーレン・メルセデスに在籍していた2006年、ファイナルラップの1コーナーで先頭を走っていたフィジコことジャンカルロ・フィジケラをオーバーテイクして勝ったレースは、前々日のフリー走行で、私が見ていた目の前の、逆バンクの手前でエンジンブローしたのでした。


当時のレギュレーションで、エンジン交換した場合は予選順位から-10グリッドのペナルティがあり、またエンジン交換したためか予選までマシンの調子が上がらずに、最後方グリッドからのスタートでしたが、次々とオーバーテイクしての優勝でした。


2001年~2006年でも、15万人以上は集まっていましたから…。


今年のフジテレビ(大阪では関西テレビ)の放送は、昨年同様元F1ドライバーの神風右京こと片山右京、Kondo Racingのマッチこと近藤真彦監督に、かつてはFポンに参戦していたTeam NOVA を運営している森脇基泰さんが解説に加わっていました。


片山右京は、日本でバブル経済が崩壊した一番悪い時期にF1デビューしてスポンサーがつかず、デビューした1993年は3年落ちのティレル・ホンダのマシンに苦しみ、通年参戦しながら1ポイントも獲得出来ない等、実力がありながらいいマシンに恵まれず、F1では不遇のドライバーとなりました。


野田英樹は資金が持たずに途中撤退を余儀なくされたり、服部尚貴はスポット参戦しか出来ない等、実力がありながらスポンサー(資金)が集まらず、通年参戦すら出来ませんでした。


1994年、アイルトン・セナがイモラのタンブレロに消え、F1人気は凋落の一途をたどりました。


片山右京、野田英樹、服部尚貴は、実力がありながら日本のバブル経済崩壊と、人気凋落の荒波に飲まれてしまいました。


1998年にミハエル・シューマッハーがベネトンからフェラーリに移り、ラリー界からジャン・トッドを監督に迎えて常勝フェラーリを作り上げてF1人気が回復するまでの間、あの手この手でF1の人気回復に尽力したのが、今は世界一の金の亡者になり下がった、バーニー・エクレストンでした。


バーニーの手で人気が戻りながら、今やバーニーの手で人気が落ちる一方なんて、何たることか…。


昔は、鈴鹿が最終戦だった頃がありましたが、今年はまだ4レースも残っています。


ヨーロッパでのレース開催数が減る一方で、他の地域での開催は増え続けていますが、思ったほど観客が集まらず、赤字まで出ていて撤退を考えている国も少なくないようです。


日本では、1993年と1994年にTIサーキット(現在の岡山国際サーキット)で「パシフィック・グランプリ」としてF1が開催され、日本でも年に2レースF1が開催されたことがありましたが、岡山でのF1開催は交通の不便さがたたって2年で終わり、その2年間のF1開催での赤字が、結局TIサーキットの倒産を招きました。


1994年の岡山でのパシフィック・グランプリは、レースは途中リタイアに終わりましたが、アイルトン・セナが生きて帰ってきた、最後のレースとなったのでした。


片山右京の後、中野信治、高木虎之介、佐藤琢磨(大した実力もなかったのに、金に物を言わせてフットワーク・アロウズから参戦した井上隆智穂は、私自身は員数に入れたくないドライバーで、井上隆智穂が持っていた資金が、片山右京にあったらと何度も思いましたから…)が通年でF1参戦しましたが、晩年のティレル、アロウズ、ミナルディ等の弱小チームの戦闘力の低いマシンにしか乗れず、あまり長い期間乗れずに撤退しましたから、小林可夢偉はまだ恵まれている方なのですよ。