2006年。
メンタルの体調を崩しました。
自分自身の欲得心が原因かと、反省しきりで病みました。
しかし、正気に戻り、よく考えたら、人間の普通の失敗に
数えられる程度のことで、
私の間違った行為である、
上司への暴言、は、上司から派遣会社の私の担当営業に苦情が行き、
私は担当営業から注意され、上司に営業と二人で謝る。
それで良いだけのことであったのに、それが、社会人の常識ある対処の
仕方であるにもかかわらず、異常なほどの精神圧迫を、精神系の圧を
かけられる心理に詳しいもの、脳の機能に詳しい者、宗教に関連のある者、
から加えられたのだと感じています。
わたしは不倫を疑われていたけれど、完全に、不倫をしていない。
赤ん坊を不倫のいざこざで無くしてしまったような、罪悪感を植え付けられたけれど、
完全なる認識のフェイク、詐称、罪悪感の捏造による、精神攻撃だと感じています。
なぜなら、不倫をしていないから。
不倫をあたかもしたかのような、環境設定を何度も精神面でされました。
水商売で男と遊んでいるかのような環境設定も精神面でされました。
けれど、ただしく、リアルに、行っていないものは行なっていない。
わたしは、男のトラブルが生じるほど、男にモテないし、友人も、お茶を飲む相手すらいない。お酒も飲まないので、居酒屋やバーでのトラブルも皆無。
エアで、思い込ませるには、あまりにも、モテない上に遊ばない、酒もタバコもしない、そもそも金がないので、遊ばない。そして、決して男に食わせてもらおうとしない。出会い系のただ食事ができるレストランにも、行かない。実際、何日も、水とお湯だけや、小麦粉を水で溶いて焼いただけのものを食しています。今も。
それでも、男を財布のようには使わない。正しく、財布ではないからです。あたりまえです。
かつての恋人と、恋人同士だった時期のみ、相手は恋人のみ。今は別れて、一切連絡なしで10年以上。
婚約者とも、婚約期間のみ、婚約なので、性行為なし。今は、破棄になって、4年。
そんな中年のおばさんを、いつまでも、無理な勘違いに陥れようとしても、無駄なんです。
わたしは正直に発言しているので、そろそろ、みなさんも正直になってください。
まちがっていたら、まちがっていたと、言えばいい。そして、誰かに言われたようにではなく、自分の正直な本心を、実際のところを、話せばいい。
このまっすぐさを笑うなら笑えばいいが、わたしは、こと、これに関しては、好意的な笑いであろうと、不愉快です。
話は、本筋に戻ります。
周囲で、私を守る者はいなく、精神病の既往歴を作る行為に周囲は走りました。
精神病院のドクターも、近所の人間も、その当時、少しでも元気になり社会復帰
できそうな様子を見せると、「気をつけてね」と口を揃えました。
近所ではないけれど、同じ町に住む周囲5キロくらいの人々からは、
健康を取り戻そうとジョギングをしているだけで、悪口を浴びせられました。
元気になったり、元気に社会で生きていこうとすると、
町ぐるみで、嫌われました。日本中かもしれません。
テレビの出演者からも、双方向メディアに切り替わったとたんに、悪意のメッセージを
投げかけられ、なぜ、そのようなことをされるのか理由がわからない上に、
その技術も理解できないので、精神病かと自分でも思いましたが、明らかに
違いました。
集団による、心理圧迫、情報操作による経済圧迫、ネットサービスの利用の阻害、
最近は私のIDの入手と成り代わりを企んでいる推測ができるほどの、家宅侵入による
盗難、電話はまともに繋がらない。いつも、それを企んでいるものとつながり、(電話対応と、後ろの空間の声の会話の内容でわかる)
用事を達成できない。
このブログを始めるきっかけになった言葉をくれた友人が、あるとき言いました。
とある宗教者も同じ趣旨のことを言いました。
それは、スピリチュアル的には、電話は繋がったり繋がらなかったりするのだと。
ものも、買えたり買えなかったりするのだと。場所にも行けたり行けなかったり
するのだと。
宗教やスピリチュアルに親和性の高い私は、普通にそういうものか?と思って
いたけれど、13年経って、明らかに違うと分かりました。
人為的な人生の嫌がらせであると、分かりました。
彼らは、彼らの気にいるように生きる人間だけ、優遇し、気に入らない人間には
阻害する。そして、殺すことも厭わない。
周囲の人間は、わたしがそのまま正々堂々と人生を生きるのなら、わたしの殺害を望む。
精神病扱いで、その発言に信憑性がなく、良いことも、良くないことも、犯罪の
告発ですら、証拠になりづらくさせたい目的があったと、推測できる。
そして、人生を、ただ、食う寝る働く、しかも、彼らの気にいる職業で、彼らの配下で
働くことを状況や環境から、強要している。
自由、平等、平和を、暴力の完全滅消を望み、そのように発言したり、生活して仕事をしていこうとすると、その仕事は、彼らの望むようにカスタムして、彼らの気にいる人間にやらせる。私がそれを、世間に発言することも、そのように生きることも阻害している。
スパイの練習のようなものや、ハッキングの練習のようなものの、ターゲットにされ、心理面や認知面の一時的な記憶野へのアクセスと引き出しの阻害を行い、あたかも、自分の勘違いで、自分が精神がおかしいのではないかと、思わせている。
私は、学がないので、この現象を論理説明できないが、最先端の軍事技術に長じているものから見たら、決して精神病ではないと、被害者であると、一目瞭然である可能性が高い。
それは、スピリチュアルを信じて、どうのこうの言うよりも遥かに現実。
自分自身の正しい反省を、困難にしているのは、そういった他人の欲望で、私自身が望み、少しづつ時間をかけて行ってきた反省は、反省が進むほど、彼らの阻害行為と欲望を私自身からセパレートし、浮き彫りになりました。
社会的に死ぬか、物理的に死ぬか、彼らの仲間になり配下になるか。
どれも、選べないので、自分に正直に、悟りのままに、学習してきた認識の善悪感のままに、自分で人生を選んで、自分で考え、学び、行った方が良いことを行い、タブーなく発言し、自由と平和と平等とNotバイオレンスを信条に生きます。
それが原因で死ぬ場合は、完全に他殺です。
IDをとられて成り代わられて、死ぬ場合は、私は一見社会上は生きていて、何者かがなりかわり、本物のわたしは身元不明死体となってしまうでしょうが、生きたいように生きます。
ある日、ブログで言っていることが、この記事のようではなく、まったく訳の分からない、倫理観のないものになっていた場合、それは私ではない。たぶん、わたしは、身元不明遺体になっているか、社会でIDを正しく使えない、存在証明のできない状態の人権侵害行為を、告発しているでしょう。
何が行われているか、知っているのに、通報もせず、見て見ぬ振りをして、自分は安全だと、贄を喜んでいる気持ちがあるのならば、明日は我が身と、状況と環境と人心の改善に努力したらいいと思います。
2006年当時。
私は、自分が幻聴を聞いているのだとしたら、リアルな職業の警察に迷惑をかけられないと思って、通報しなかった。恐怖はあったが、通報くらいできる。
けれど、幻聴かどうかを確かめるために、両親に聞こえるか?と聞いたら、2006年当時、そのとき、両親は、聞こえないと言っていたので、幻聴だと判断した。
だから、通報しなかった。
しかも、何者かを助けに行こうにも、フェイクの罠なのか、わからず、恐怖心からも、一人で暗闇の中には進めなかった。それは、臆病だけれど、みっともないとは、もう思っていない。
なぜなら、その後に現れた、被害者と思われる人物たちは、何事が行われていたかを知っている発言と、完全に仕掛け人側であったのだと、13年目にして、やっと気がついたから。
友情は消えたが、元々友人ではなかった。
そのことが、わかった。
友人ならば、もっと早くネタバラしをして、私の人生で稼ごうとせずに、私の人生を私に返してくれただろう。元々が、人生の搾取を狙っていた。私の魂や、私が知らずに引き寄せる何かを狙っていた。利害でそばにいた。いつまでもいつまでも、私で利益を得ようとしていた。
がっかりな結論だけれど、真実に近い。
周囲や友人はそれほど悪人ではないので、よっぽど、これらの行いを私にすることを軽く見ていたのだろう。その人たちは、なんらかの、その人たちが考える利益を私に渡すことで帳消しにしようとし、わたしにはなんの相談も、意向を聞くことも、種明かしもない。
そして、自分たちの計画がうまくいかずに、損害が出るたびにこちらを憎んでいる。
自分勝手なそのひとたちの考える、その人達がカバーしたい人達全てが丸く収まるための、利益は、わたしの人生の自由さを犠牲にしている。わたしが、自分の人生を正直に生きることをないがしろにしている。
自ずからを大切にすることや、個人個人の大切さは、ただ一人が調整をつけて、個人個人の魂の人生の仕事をさせずに丸くおさめることではない。それは、わたし以外の全ての、同様の害を受けた人物も同じ。
決して、仕掛け人側ではない人たち。
ほんのちいさな家族間で収まるようなことを、ただ、諭せばいいだけのことを、金銭が絡み、体面が絡み、こんなに時間がかかって、まだこの段階にあるように思える。
そして、その、家庭のトラブルを、面白がる人やそれで稼ごうとする人の、迷惑さ。
なにもわからず、害意にさらされた苦痛の怒りは、悟りで相殺されたけれど、世の中の人は、全員、半分しか信用できなくなった。
人の善悪にかかわらず。
欲望があり、その欲は、あからさまなわかりやすい欲望だけでなく、名誉欲望や能力のコピー欲望、コピーだけならまだしも、カットアンドペースト状に望み、地位を上げ、能力を低くし、下を作りたい欲望まである。
さらには、いつまでも、指導の立場にいたいがために、伸びることを許さず、ある程度のところで搾取し、収入の源泉を確保しようとする欲望、悟りや気づきでお金を儲けようと、他人につきまとい、悟りを得ようとする欲望、源泉が枯れないように、世の中に問題を常に発声させようとする欲望、普通に生きているものに、苦難困難を与え、本人が精神の苦痛の中得られた宝石のような精神を、我が物にして、尊敬やお金を得ようとする欲望、また、その宝石を、気に入った人物に与え、活躍させようとする欲望。
全て煩悩。執着。自らが、頑張りながら自らの人生で、失敗や、善行をしながら、学びながら、反省しながら、喧嘩せずに生きていくことを、否定するからだと思います。
完璧さへのこだわりから、失敗や間違いを認められず、訂正できない精神など、人生修行をまともに行うには未熟すぎるということだと思います。
そのように、失敗や間違いを普通のことだと、自分がいいことをしているのか、悪いことをしているのかについて、他人の善悪の認識に依存せずに、「自分に正直に」なれなくては、誤魔化しが生じる。
人間は、何がダメで何が良いのかを、生きていれば理解するんです。
暴力がいけないのは、教わらなくてもわかること。
高度な抽象概念でもない限り、世の中は、シンプルで、善悪でわからないことなど、ほとんどないんです。
向こうをたてれば、こちらがたたず、な状況でも、ハッキリとしているんです。
暴力を行うほうがよくない。
それを、強制している者がよくない。
あれのせいで、こんな目にあった。そう思った時、本当に害があるのは、自然に自由に、法律を犯さずに、普通に生きている人物の行動ではなくて、その人物の行動をネタに、不当にあなたに害を与えている何者かではありませんか?
または、あなたにその人物を賭けのネタに、賭け事を持ち掛けた人物、そして、利益に目が眩んで賭けに乗った人物自身。
恨む人物を間違えてはいけない。
そして、できるならば、誰にも執着せずに、余計な悪縁(愛情という単語ではなく、愛欲(愛で得られる、安全、安心、お金、地位、尊敬、名誉、立場などなど)という表現が正しい感情)を捨て去り、誰も恨まずに、余計な悪縁(恨み、妬み)などバッサリ捨てて、明るく爽快に生きて、死んだほうがいいと、思うのですが、すぐには行動に移せなくても、感情が整理つかなくても、欲望に何度も勧誘されても、そういった理想を掲げて生きることが、つまり、マトモに幸せに生きるための方位磁針のようなものが、理想だと思うのですが、重要だと思うのですが、あなたはどうですか?