人生、わははのは!

人生、わははのは!

全ての流れは無駄では無く、計画通り。
ならば、わははと笑って楽しく生きようではないか!


とらすずです!! 当ブログにお越しくださり、ありがとうございます♪♪

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ワタシの人生、産まれる前からなんだか慌ただしい。

振り返るとあまりにも沢山のことがあり、最近は面白い人生だと楽しんでおります。

色んな経験をすると、色んな事が見えてきました。良くも悪くもどんな事も意味があっての出来事。一見遠回り・無駄と思えてた事柄も後に必要な事だったと気付き、なんだか見えない何かの力に導かれてる様な気がしてならないのです。人には色んな考えや思いや体験をしてそれぞれの人生ドラマがあり、何が正しくてどれがダメなんて無いとワタシは思います。なので、決めつけず色んな角度からの見方を大事に、流れに身を任せてみると言った余裕も大事なんだと思いました。

もちろん生きてて不安はいっぱいだし、とてもとても悩む事が多いけど、結局沢山ある人生の選択肢に「なんとなく」と言った直感がその時に進むべく道と信じて、バタバタふわふわと心地よい生き方をワタシなりに探して感じて今を生きているワケなのです。

と言う事で。
ワタシの人生ドラマを、せきららに書き出してみる事にしました。こんな生き方もあるんだと、「なんとなく」読んで頂けたら嬉しいです。


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初任者研修を取得してから1年過ぎに
次は「介護福祉士実務者研修」の資格取得するため
2人で学校に通っていた。


ただ、「なんとなく」

身体と頭が柔軟なうちに
夏迄に取得しておこうかなと
思っただけだった。

全ては3年後に控えた「介護福祉士」の
国家試験に向けての私達の計画だったのです。





2017年、7月。


世間はボーナス時期。
私達も、まともに貰えるのはこの7月のボーナスで
この実務者研修代にあてられるので楽しみにしていた。

社長からは何度も、実務者研修のお金は出すと言われていたが
「なんとなく」気が進まなかったので
余裕なんて全く無かったが、自腹で通うのでとお断りしていたのです。






ある日。



社長に呼ばれ、ボーナスの件で渡す前に言っておきたいとの事。

開口一番、社長からの高い評価を頂いた。
並び立てられた褒め言葉の数々に素直に喜んだが、
ボーナスとして提示された額に愕然とした。

介護施設にしてはあまりにもの高額だった事と
まだ1年しか経ってない私達がこんなに頂いて良いのか?
と、驚きと不安とプレッシャーが一気に押し寄せて来た。

この金額は異例な事で
他の職員にも影響が出ると困るので
他言はしない用釘を刺され、ある事を質問された。


それは、今のサセキの事。

他の職員からクレームが来ており実際どうなのかと。
私たちから見たサセキの評判や評価を教えてくれと言う。



クレーム?




当然。

周りが思う程、私達はそんなに悪い印象は持っていない事とと
私達には尊敬出来る上司だと言う事を素直にそのまま伝えた。
だが、社長は期待していた返答が無かった為か



大丈夫! 2人の思いは口が裂けても言わないから。
オレと2人の仲じゃないか!!?




そう言って、何があっても守るから的なニュアンスを込めて
フレンドリーな対応に変えて来た。


2人に事務所に入ってもらう為に環境を良くしたい。
他から来た人には、ココを任したく無いと言うのがオレの考えだ。
ココで育った職員だからこそ安心して事務所に入ってもらえるんだ。





事務所?




社長に食事に誘われたり、会議室に呼ばれる度に出てくる
この「事務所」と言うキーワード。
またか。と言った印象である。


正直、私達は今「介護」に真剣だし夢中だ。
より利用者さんに関わり、日々の変化を察知出来る目と
より安全で気持ちよく生活出来るために
介助の仕方、対応の仕方もどんどんと経験を積みたい
そんな時期だった。

もちろん、事務所の仕事を覚えるのも
今後において大事な経験かもしれないが
事務所に関しては、全然魅力が無いと言うか
「今」では無いと自分達が一番良く解っているからである。



それから社長は、熱弁をした後
そのクレームを出した人が言っていたであろう
あらゆる内容に対してどう思うか
ちょっとでも見受けられる事はあったか
YESかNOの様な2択で質問が変えられた。



内容は些細な事ばかりで、そんな怒りを買う様な
おおごとでは無い案件ばかりだった。
そして、話を聞いて行くうちに
だいたいクレームを出した人の見当がついた。



それは、あの謎の主任。





社長からはとても評判が良いようだが
職員と利用者さんからは評判がすこぶる悪い
あの謎の主任である。



サセキはよく苦情を聞かされていた為
主任に対して自然と厳しい言い方に
なってくるのは当然である。


たぶん。
皆の前で怒られる事で
プライドが傷つけられたのであろう。
社長へ「辞表」を提出し
騒いだと言う事を聞かされた。







数日後。

サセキは社長に呼ばれた。
何故か、私達が以前居たグループホームの施設長までもが参加し
廊下迄響き渡る程、2人からひどく罵倒されたそうだ。
そして、ボーナスが大幅カットされたと後に聞かされた。






その翌月。

我らの先生、強いサセキは
去ってしまったのです。




おいおい。
なんだか、この流れ。
前にも同じ事無かった?




経験上、同じ事が繰り返される時は
紛れも無く「サイン」である。


「そこに何かあると気付け」

「この流れには意味がある」










そして、そう時間が経たないうちに
浮かれた主任の何気ない言葉で気付いたのです。




それは。
こんな一言から始まった。




サセキが居なくなってよく喋る様になった主任は
こんな事を笑いながら言い放ったのです。



以前、ここを辞めた時の計画では
舞い戻る迄、本当は3ヶ月から半年位は遊ぶ予定だったんすよー。

だけど。
社長から連絡が来て、予定より早いけど戻るかって言われて
ゲームしたかったのに遊ぶ暇がなかったんですよねぇ(笑)





計画?
予定?
舞い戻る?
(笑)?







その瞬間。

ワタシの頭の中が、名探偵コナンばりの
「推理力」が発動され全てが繋がった。



そして
2年前から仕組まれたであろう
壮大な計画と、謎な関係性等
徐々に明らかになって来たのです。



なんとも。

自分勝手なくだらない事に
巻き込まれたもんだと
しばらくは立ち直れず呆然とし
当たり障り無く日々を送っていた。



そして予想だにしなかったX-Day。
その日は突然やってきたのです。




これもきっと。

私達の人生の中で
通らなければならない
「計画」だったんでしょうね。

















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ココに来る前から噂が耳に入っていた
「サセキ」(サービス提供責任者/以下サセキと略)の事を触れておこうかな。



数々の職員を闇に葬り
ダークなイメージしかなかったサセキ。

社長が「つぶす」と言っていた、あのサセキである。





「職員を辞めさせる程の嫌がらせがある」

なんて事を聞かされ、とにかく粗相が無い様に
ビビりながら警戒はしていたのである。





だが。

これがまた、私たちには全くと言っていい程
気にはならなかったのである。

確かに、利用者さんへの対応は少し強引な所があったり
言い方がキツかったり不愉快な想いをさせてしまう様な
場面は数々見受けられたが、
それよりも介護職としての的確な指示や
「なるほど」と思う様な介助の仕方や対応の仕方は
むしろ、誰よりも見習える様な私たちには「先生」だったのである。

ピンと背筋が伸びると言うか、言われない様にと
先々への頭の回転・想像・気遣いと、グンと広がった気がした。

どんな厳しい言い方をされても、当然な様に思え
すんなりと受け入れる事が出来たのです。




そこで、なぜこんなにも人によって見方や
感じ方が違うのか旦那と2人でよく話し合った。
そして、たぶんこんなことなのかなぁと結論に至った。


それは。

「プライド」




過度なプライドからくる目線で物事を見ると
自分中心な考え方になりがちになる気がするのだ。



自分の価値観。
自分の物差し。




それを基準で物事を比較したり批判したり批難するとどうなるか。


当然、反発が起きる。
そして、その反発同士が集合するのが1番厄介である。
どんどんとパワーが拡大し、その結束力が自然と
日頃のストレス発散となり、自覚無いまま
「妬み」に進みがちでは無いかと思うのです。



ワタシの方がつらい
ワタシの方が働いている
ワタシの方がよく知っている
ワタシの方が経験がある
ワタシの方が効率良い
ワタシの方が好かれている
ワタシの方が期待されている




ワタシだって。ワタシなら。ワタシだったら。

そんな風に物事を判断すると
どんなことでも相手が腹立たしくなり
勝手に人格が決められると言う恐ろしい流れとなる。

プライドが高いような人達が集まれば
もしかしたら、当然な流れになるのかもしれない。




介護の世界に入ったばかりの私たちには
介護職員としての「プライド」なんぞ
まだまだ無いひよっこではあるが



取りあえず素直に受け入れる。


物事を色んな方向から考えて対応する事と、
柔軟に捉える事が、介護だけでは無く
生きて行く上で1番いいのかなぁと感じるのです。



しかしながら。

介護の世界は、利用者さんに寄り添う世界であり
介護職員同士で、誰がどれだけの経験があるから偉いとか
従えとか、足を引っ張るとか自分中心な考え方での対応とか

それで良いのか?


そんな疑問と戸惑う気持ちが湧き出て来たのです。

もちろん。
どこの施設の職員も、この様な人ばかりとは限らず
私たちはここの施設しか知らないので、決めつけは出来ない。
だが、みんな口を揃えて言うのが

「どこの施設もおんなじよ」

と聞かされていたので、正直不安しか無かった。




資格や経験があればあるほど有利だと感じていたが
その各々のプライドが、「介護」と言う分野では
善くも悪くも大きく左右されるのかもしれない。

「自分の才能や仕事に自信と誇りを持つ心」



「プライド」は仕事をして行く上で、
この心はとても大切だとは思うが、それが過ぎるのも
「思い上がり」や「うぬぼれ」「高慢」「自慢」
となり得るので気をつけなければならない所なんだろうなぁ。








とりあえず。


周りが懸念する程
サセキは私たちにとって先生であり
何でも相談出来る尊敬する上司な為、
なにも問題無く月日が過ぎて行った訳である。









誰とでも、どんな環境でもうまくなじむ私たちに対して
この流れが想定外だった社長。

社長は、介護に対してとても熱く素晴らしい信念をお持ちの方だ。
私たち2人の、どんな状況・環境であっても
うまく溶け込む性質に対し、自分の目指す方向に
無くてなならない人材だと、とても絶賛し応援してくれた。




そして、昨年の夏。



ある人の、ある言葉が切っ掛けで
一気にいろんな謎が解けだし
恐ろしい計画を知る時がやってきたのです。












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大半の職員と食堂の職員1人もが居なくなった施設に
ペーペー職員私たち2名と看護師とパート職員で
ドタバタな毎日が怒濤の様に過ぎ去った。

大変かと思いきや、案外楽しくて
朝6時から夜6時迄残業も苦には思わない程だった。

ココに来て1ヶ月も経たないのにこんなにも大騒ぎ。



「環境が悪い」

そんな事言っていたが、そうは感じない。
自分がどこに集中して何をどう捉え感じるかなんて
そんなのは気持ちや考え次第だと確信したワケである。





そんな月末のさなか、社長に呼ばれ
毎日毎日懸命な仕事に対し
ねぎらいの言葉とこんな事を言い始めた。



こんな事になり申し訳ない。
来月頭に新しい人材が来てくれるから
少しの間頑張って欲しい。




そしてその新しい人材とは。
先月この施設を辞めた男性職員だそうだ。
こんな事態になり急遽お願いしたとの事。
とても利用者さん思いのよく働く、辞めて欲しく無かった人材なので
「主任」と言うポストを用意して戻って来てもらう事にしたらしい。




そんな絶賛な方が来てくれるなんて
期待が膨らんだ。






そんな中、ある噂を耳にした。



現時点で残った1年以上勤めるパートの方と看護師、
そして食堂のパートの方から色んな話を聞かされた。
詳しい経緯は聞かなかったが
この期待されている「主任」はあまり評判が良く無いらしい。

同時に、利用者さんからも「イヤだ」と言う
不安な声がたくさん上がっていた。



「主任」だよね?
良い人材じゃなかったっけ?





まぁ。

人それぞれのやり方が違う様に
色んな見方は有る訳で。


社長から見る「主任」と
職員や利用者さんから見る「主任」は
どれだけ違うのだろうか。
しかしながら。
噂だけでこんなに天と地の差があるのは謎だ。

もしかすると、「主任」と言うポストからくる
ただ単に妬みからくる物なのかもしれないし
噂で人を判断するよりも、実際関わってみなければ
解らない事だろうとあまり鵜呑みにせず
流されなかったのである。




期待半分、恐怖半分。


また、何か起きなきゃいいけど。。。。












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不安いっぱいの中ようやく
住宅型有料老人ホームへ移動の月が決まり
とりあえず、新しい職場の施設長へ挨拶をと
社長に申し出ると、すぐさま食事の場を設けられた。

社長・課長・旧施設長と新施設長との会合と言う事だが
約束の場所には、1人若くキレイなお姉さんが居た。

向こうの事務員も参加なのか
まさかこの人が例の意地悪サセキ?

ピリリと緊張が走る中、
社長に紹介された言葉に目がテンになった。


「こちらは、向こうの施設長です。
ま、僕の妹なんだけどね。」



すなわち、課長が助けてあげてと言っていた
あの「娘」である。


ちょっとまって
ちょっとまって
頭の中で整理しないと。


ワタシの中で、干されている娘のイメージとして
介護職員で働いていて、例のサセキからいじめにあって
暗く地味な「娘」と勝手に思い込んでいた。
だけど、立派な役職が与えられた
生き生きしたイマドキの30代の「娘」だった。




あ、そう。。



とりあえず気を取り戻して
「環境が悪い」その意味を問うと
「色々あったがもう大丈夫」しか言わない。
そして社長は、帰り際に


課長も一緒に移動してもらうから何かあれば言ってくれ。
何かあった時は、オレが全力で潰すから安心して伸び伸び仕事して。


。。。。。


つぶーす




とうとう何が起きているのか解らないまま
戦場へ送り込まれた。






そして当日の朝礼。

いかにも介護職員ですと言わんばかりな
ベテランそうな職員がずらりと並んでいた。

そして、社長も課長も旧施設長までもが参加の異例な朝礼で
ここの職員も、何物が来たかと上から下迄舐める様にジロジロと見られた。


社長からの挨拶。

「2人には事務所に入ってもらうので皆宜しく。」


え?


そんな確定な話を発表とは聞いていなかった。
確かいずれの話しだったはずで
何も初日のここで言わなくても良いのにと動揺した。


そして一気に職員の目線が私たちに集まった。
それは鋭く冷たく怒りさえ感じるほど白い視線だった。



経験は何年?
福祉士持ってるの?
サセキになるの?


最初は嫌みな言い方でたくさん質問された。
気になるが気にせず、仕事を覚えた。

数多くの先輩達はワタシには憧れの
福祉士や看護師やケアマネの資格を持つ人ばかり。
まるで学校の先生が沢山いる中での仕事のようで
尊敬出来る人たちの下で働ける嬉しさと
なによりラッキーな事なんだとポジティブに考え
素直に明るくテキパキと対応して
沢山学ぼうと必死だった。


そのうち「敵」では無いと悟った様で
皆が応援してくれる様になった。



そして何週間かした頃。
ボス的な人がこっそりワタシの所に来て


2人ともっと仕事がしたかった。
こんなに楽しかったら辞めなかったのになぁ。
もう次決まってたから仕方ないけど。
今は頑張っている2人には何も言わない。
でも、ここのやり方や考え方
じきに解ってくると思うよ。




そんな意味深な言葉を残して
職員ほとんどが
その月に一気に退職してしまった。




。。。。。。





就任わずか1ヶ月もしないのに
職員が居なくなった。













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その施設は、グループホームと健康型住宅と
有料老人ホームと数多く手がけていた施設だった。

私たちの通っていたのはグループホーム。
認知症と言っても、利用者さんのそれぞれの性格から
いろんな形があって、どう対応したら良いか経験を重ね
たくさんの事を学ばせてもらった。

先輩から色んな事を教えてもらう立場で思った事。

それは、色んなやり方がその職員によって全然違って
ひどい対応の職員も居るんだという事を知り
とてもショックを受け最初は戸惑ったりした。

なにも知らない世界に飛び込むと
全てがクリアな状態で挑んでいるワケで
学校で習った事が当然の如く、皆がルールやモラルを最低限守り
目指すものや心は同じ方向を向いている物だとばかり思っていたが、
そうじゃないと言う事を思い知らされた。

だが、希望を胸に覚悟を決めて進んだ道なので
自分が信じた道を進むべく、学校の教えをベースにし
手探りで利用者さんの表情や反応で良い悪いを判断することにした。





社長は、溜め息しか出ない人材の中しっかりと働く姿と人柄が
素晴らしいと声をかけてくれ、介護員卵の私たちを
食事に連れて行ってくれたり、社長の母親である課長からも
こっそりメロンだお酒だお肉だとお土産を頂いたり、
何かやりづらい事は無いか困った事は無いかと
とても気に掛けて下さり、とてもとても大事にしてくださった。


2月から、1週間に3回位の勤務で1日4時間のバイトで始まり、
資格が取れた6月にフル勤務で正社員になった。
そして、思っても見なかった夏のボーナスを頂いた。



そんなある日。


社長から呼び出され、
住宅型有料老人ホームに行く気はないか。と訪ねられた。
面接時にも確認はされたが、自宅から遠いのでお断りしたはずだった。
社長は、利用者さんからもそのご家族さんからもそして社員からも
評判が良い2人の人柄に期待をしていると言う。
そしてこう言い出した。


「実は、いずれ2人にはそこで事務所に入ってもらいたい。」


。。。。?


事務所?



初任者研修を取得したばかりの私たちに、これから行く
住宅型有料老人ホームの施設長の手助けをして欲しいと言うのだ。


まぁそれもいずれ勉強のうちかと、深くも考えず承諾した。






そして、住宅型有料老人ホームに行く前に
こちらの職員からある噂が耳に入った。


あちらに居るサービス提供責任者(以下、サセキと略)は
意地悪で何人も人を辞めさせているらしい。


え?


。。。。。



数日後、課長より更に追い打ちを掛けるかの様な言葉。



むこうに娘が居るの。
干されてる感じだから助けて欲しい。


助ける?


。。。。。



なんかイヤな予感。



一気に入って来た情報だったが
そこは、何ヶ月か前に食事の時に言ってた
社長の話をいつも思い出してしまうのです。

未経験で家族で施設を立ち上げ、
施設同士から批判やバカにされて来て
悔しい想いをしてきたと言う社長の話にとても共感した。
自分達のデザイン業界でのあの悔しい想いと重ねて
なんとか良い施設に、微力ながらお手伝いしたいとの
そんな私たちの想いを込めて意を決して承諾した訳である。




だが、行く日取りが1ヶ月延びた。

こちらの施設長に理由を聞くと、
向こうの環境が悪すぎてとの事。


環境が悪すぎて?



そんな所行きたく無い。
仏の心も、優しさも共感もあったもんじゃない。
それが当然な感情です。











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27年間程、デザイン業界に関わってきた。
この業界が好きで突っ走って来たけど
長年の付き合いだった取引先からの
まさかの不条理な出来事。

数ある証拠も有り先方も非を認めているのに
大手企業たるもの下請けに頭は下げられんと
言い出したは良いものの、引っ込みがつかなくなったようだ。

なんで?

逃げ腰になる上層部に、連日正論を並び立てて戦ったが
質問に対しての解答も支離滅裂。
もう関わりたく無い気持ちと、怒りと悔しさと恐ろしさで
こちらから手を引いた。





これがまず、1度目の大きな出来事。



そんな事もありながら
違った形でデザインは続けると思っていたが
旦那は、何かを目指し何かの資格を取りたいと言い出した。

デザインの学校も出て実力も実績もあるのに
放り投げるなんて勿体ないと説得したが、
デザインに対して気力も魅力も無くなったらしく
かなり意思が固かった。

とことん話し合った結果、決めたのは
「介護の世界」

全くの異業種。


異業種にしても、家具とか染め物とか革製品とか
職人を目指すのかと思いきや
まさかの介護職員。

人と話すのが苦手な旦那が
そこを選んだ。








ワタシの親子関係は当ブログのテーマ別「生い立ち」である
ドタバタ人生(全8話)を読んで頂けると話は早いのですが、ちょっと複雑である。

ワタシにも恩返しのような物が出来ないかと
考えたのが、親を我が家に呼ぶ事。

14年前、2世帯住宅として準備はしていた。
当時は父親も居たが4年前に他界したため
現在は、母親1人で生活をしている。
足腰弱っていて1人では心配だが
まだ動けるうちは頑張りたいらしい。

友達も周りに居て、通い慣れた病院やスーパー等
趣味の畑仕事と馴染みのある場所から
違う場所への移動は、年寄りにしたら酷な事で
何かと決心も必要だろう。



介護疲れで虐待・殺人。

その頃、ニュースや特集で目にする事が多くなった。



一緒に住むと言う事。
「そのまま親の生活が我が家に移る」
そんな安易に考えてしまっていた大事な事。
当然、いつまでも今のままでは居る訳が無く
必ず「老い」がやってくる。

この先、身体が不自由になった時や
認知症になった事も考慮しなければならない事。
親孝行と言う言葉だけが先走っていて
肝心な中身に対して無知すぎる私たちに、
「責任」と言う言葉が
どしんと重くのしかかってきた。

「面倒見切れませんので施設に預けます」

そんな事は絶対に避けたい。
母親も施設だけは行きたくないと言う話は
常日頃聞かされていた。

日々勉強している私達と一緒なら
安心するんではないかとの想いもありながら
介護の世界に飛び込んだが、
現実問題として収入面が心配だった。

しかしながら。
不安定な収入源より安定の正社員での固定給が魅力の一つだ。
色々考えると絶対に前になんか進めないので

「なんとかなる!」

その信念と直感で決めた道を信じて、進むしか方法は無かったのである。

日中の施設でのバイトに、夜勤のバイトも入れ
更に学校にも通い資格を取得した訳である。

デザインをしてた頃、
睡眠は基本1時間2時間の仮眠しか取れなかったので体力的には大丈夫だが、
介護の勉強に施設でのやり方、夜間のバイトの流れや機械の操作。
なにせ初めてな事だらけ。
覚える事がいっぺんにやってきて頭がパンク寸前だった。

とにかく。
怒濤の如くこの家だけは手放せないとがむしゃらに突っ走ったのだ。




全てが未知の世界。

賭けの様に進んだ介護道は
汚い辛い大変と覚悟してはいたが、想像と違ったのである。

なんて人間らしい、なんて優しさに溢れた素晴らしい世界なんだと
想いはキラキラと毎日毎日楽しくのめり込んで行ったのです。

寝ても覚めても旦那との会話は介護の話し。
2人で移乗や交換の仕方や利用者さんの対応等
教え合ったり練習したりした。
親や兄弟とも会話が苦手な旦那が
他人と笑顔で歌ったりふざけたり。
元々、ばーちゃんこだった為すんなり溶け込めた様だ。

旦那の表情も明るくなった気がした。


職員との人間関係も良好。利用者さんからも可愛がって頂き
期待も大きく、喜んで居たのもつかの間。

2度目のパワハラ的な事柄になるとは
思っても見なかったのです。











最後まで読んで下さりありがとうございます。

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不条理な出来事と言う場面に出くわした事はありますか?
やっかみで陥れられたというパワハラ的な出来事。

これは今世の中でとても問題視されている事なので
生きている上では細かい事も含め
誰もが経験している事とは思います。



それと。

言われて来た事、されて来た事の中で
今迄あんまり気にもしてなかったのに
ある日突然、素通り出来てたその事柄が
すごく大きく引っかかり、心が折れた。


そんな事は経験有りませんか?


ワタシはこの2つの事柄で
飛躍的に人生が大きく変わった。

と言うより
進むべく道に軌道修正された。
と言った方がいいかな。


全ての出来事には意味があると思う。
それを、ネガティブに考えてしまう人が大半。

人間だもの感情がでるのは当たり前の事で
周りに相談する人が居なければ、尚更陥りやすいのかもしれない。


そこで。
出くわした事柄を、どうポジティブに考えるかが重要である。

もちろん、命の危機や周りに言えない被害者が続出と、
極端な大きな規模になると、そうも言ってられない。
こう言った話は連日ニュースにもなっている程
デリケートな話題なので、深くは言及は致しません。。





なんで?


と疑問が起こる事柄こそがサイン



なぜ、あんな仕打ちをされなきゃならなかったのか。
なぜ、身に覚えの無い事が噂として流されたのか。


いろいろ悩んだあの頃。




ワタシがここ数年の間に起こった
2度に渡って体験したパワハラ的な事柄と
何かに気付いて心が折れた事柄は
まぎれも無い「サイン」であり
次のステップへとその世界から追い出す
大きな軌道修正の為に用意された修羅場だったようだ。


















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この窓から見える
少し離れた、なだらかな丘のてっぺんに
まるでこちらを見据えているかの様に「鳳凰」がそびえ立っている。

悠々と大空に羽ばたく翼の如く
木の形がまるでそのように見えるのだ。



5年程前、この丘を夢で見た。

ワタシはこの「鳳凰」がそびえ立っている丘で、あの「ケンタウルス」に会った。
ギリシャ神話に出てくる、下半身が馬で上半身が人間の半人半獣のアレである。
そんな夢の事なんて見た事もすっかり忘れていたが
この丘を目にした瞬間に蘇った。








ある日。

なんとなくGoogle散策をしていたら、名前も場所も聞いた事が無い町を見つけた。
ストリートビューで見ると整備された広い駐車場に、
奇麗な道の駅はきらびやかにデデンと構え、温泉もキャンプ場もスキー場もある。
けど、銀行もスーパーも無く小さなコンビニが1軒しかないと言う小さな小さな町だ。

知らずに車で走っていると、この道の駅が無ければこの町を通った事さえも
覚えてない位、一瞬にして通り過ぎてしまう様な町なのだ。



「砂金が取れる町」「埋蔵金が埋まってる町」
「何かが発見された町」「アトピーに効く温泉が出る町」など
よくあるそう言う類いの物は確かに1つ2つある町ではあったが、
とてもとても素朴で時間がゆっくり流れている様な、
そんな町がなんだかとても気になり、実際に行ってみる事にしたのです。


無料高速を抜けこの町に入った途端、目の前に広がる丘。
どこか懐かしい様な、安心する様な不思議な感覚に陥り釘付けになったのです。
それが「ケンタウルスの丘」(自称)との出会い。






そんな町に惚れ込んで、二人で移り住んだ。






それは想像もしなかった発想と
流れに身を任せてみようかと言う直感から行動に移してみました。


住み慣れた何不自由も無い内陸の道北から
山に囲まれた静かな静かな海近くの道東へ
片道約250km近く離れたこの場所に
なんだか、呼ばれた気がしてならなかったのです。




思い立ってから決行迄、わずか3ヶ月。
私たち夫婦の人生がガラリと変わった。




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しばらく、更新出来ないままでいました。

ここんとこ、沢山考える事が多くて頭ん中フル回転。
煙出しながらなかなかヘビーな毎日を送っておるのです。


ココ数年、統計取るとなんだか2月に必ず胃腸炎になると言う事が解り。
最近は、胃袋と肝臓の感謝デーと言う事で、なんとなくお酒を断っております。
って言うか、お酒飲まないのも良いかなぁなんて。健康にも良さげだし。

なんて。毎年こんな事考えてる気がするなぁ。

あ。

そのかわり、シュワシュワジュース飲むのが多くなった気がする。

身体に良いのか悪いのか、もはや解らなくなって参りました。

タバコもそう。
30年くらい辞められないでいたワタシが、魔法の一言ですっぱりと辞められたと言うキセキ。

吸う事も吸いたいと思う事も無いって凄くないですか?

かれこれ6〜7年は維持でございます。


さて。

ようやくブログに戻って来たのはですね。

「願えば叶う」

って事に最近なんとなく気になっております。



ちょっと最近、そんなこんなで色んな出来事が旨い具合にやってくると言う事が多い事に気付き、それが、自分の人生に必要な事や通らなければならない道ならば、尚更なのかなぁとフツフツと思っています。


ふと、なんとなくメールしてみようかなぁとか。
ふと、なんとなく探してみようかなぁとか。

この、「ふと」とか「なんとなく」と思った事は取りあえず行動に移してみるんですねワタシ。

それが切っ掛けで新たな道が広がったり、見つけたり。って事が多くて面白いなぁと実感している次第でございます。


うまく言えないけど。



環境の変化や新たに覚える事や慣れない事をすると言う事は、不安がいっぱいでとてもとても辛くて心折れそうになったり逃げ出したくなったりするんですよね。

すごいエネルギーとポジティブな頑張りが必要になるけど、ここ最近のワタシも自問自答の繰り返しで、毎日毎日がネガティブキャンペーン。
家に居れば逃げ出す理由ばっか考えてるし。会社行く前は必ずお腹壊すし。

でも。

今頑張れていたり逃げ出したりしていないと言う事は、なにかきっとこの先にある。と言う事が「なんとなく」感じているのです。


それがいったい何なのか。


このワタシの根拠の無い感覚はどの事を感じて察していたのか。
まだ今は見つけられてはいませんが、少し楽しみになってきました。


一連の詳しい出来事はまた今度。





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これまでの数多く攻め込まれた事を振り返ると、壮絶だった。


精神的・社会的に追い込んで支配下になるように暴走するビンゴ君。
きっと罪悪感は無いか、あってもごくわずかなものでしょう。
しかも暴力を振るう・強要・脅迫を、愛しているが故の行動だと認識し、この歪んだ「愛情」が犯行へと駆りたてていった。

今となっては、怒りの割合が多く、歪んだ愛と言うよりも「敵」や「抹消」「存在を消す」「殺す」と言うキーワードにエスカレートして行った様にも思えます。


これが今で言う「ストーカー」

1990年代後半に「異常なつきまとい」が殺人にまで発展した事で事件が勃発。
被害の深刻化が社会問題となり、2000年に「ストーカー規制法」という法律ができた様です。



ビンゴ君の攻撃が悪化していたまさにその時代に、そんな法律が出来た事なんてテレビなんて見る余裕なんて無かったので知らなかった。

多分、連日ニュースで流れていた事件と、このビンゴ君の攻撃が重なり危ないと察知した上司が心配して、全面的に守ってくれたのではないかと思います。

そんな情報をも知らずに、この「誹謗中傷ファックスばらまき事件」が切っ掛けで、ワタシは心身とも疲れきり泣いて怯えての毎日に限界だった。助けて欲しいが他の人を巻き込むのも恐い。

これがいつまで続くのか、どうしたら良いのか、本当に限界だったのです。
ただ、ただ、権力のある人からの助言が欲しくふらふらと引き寄せられるかの様に警察へと足が向かった。





そこでワタシを担当してくれたのは、ヤクザ担当のヤクザの様な刑事さんでした。


よくテレビで観る「取調室」の様な小さな個室に通され、ちょっと違ったのはパイプ椅子では無く黒い応接セットがあった。

身体が大きい刑事さんは、どすんと座り、どれどれ?と数多くの手紙・メール・ファックス・着歴、全てに目を通しニヤリと笑ってこう言いました。




お前、刺されるぞ。




数多くの事件を解決してきたベテラン刑事には、このビンゴ君の精神状態が一刻を争う程、危険度マックスだそうだ。

すぐさま、対処しなければとの事で沢山の条件が提示された。


今後最低2年間はコンタクトしないと言う事。
ビンゴ君と今後、如何なる ことがあろうともよりを戻す気が無いと約束する事。
全て警察に任す事。


そして。

「子供達の事は諦めろ」と言われました。


お前の気持ちを考えると可哀想だが、仕方ない。
でもな、刺されて死んでからじゃ何も意味ないぞ。

いいか?生きて時を待て。





心に痛く突き刺さった。
傷ついた心は、子供達も同じ。いや、子供達の方が状況に適応しなければと混乱していたはず。
計り知れない孤独と親の勝手な判断で振り回された中での生活は、葛藤しかなかっただろう。
子供達には勝手に決められた道に従って、そこで決めた想いや考えがあるはず。

裁判所や弁護士が言う様に、ワタシには子供達を幸せにする保証が無い、愛情だけでは乗り越えれない現状が有る事、それをワタシの想いだけで、もうこれ以上惑わす事はしてはいけない事なんだと思い知った。

子供達には、許してはもらえるとは思っていないけど、無力でバカな自分を攻め心から心から謝った。




いくら大声出しても、想いを訴えても届かぬ声。
後悔ばかりしか無い中「母親」なんて言える資格も子供達に会わせる顔なんて当然無い。

これから生きてても「その時」を待つ価値なんて、この母親失格のワタシになんかあるの?




このビンゴ君に攻め続けられていた生活でも、「いつかは」と子供達との夢が支えでした。
その希望もやがて失望に、そうして絶望に変わってしまったこの状況で、ワタシ自身も何を考えるか解らない。

警察の方は、絶望のどん底に落とされたワタシを見て、そう思ったのでしょう。
生きる希望を持てと言わんばかりにワタシをとことん励ましてくれた。

次から次へと出てくる涙も枯れ果てた頃、そこまで、ワタシは外部からも内部からも危険な状態になっているって事に気がついたのです。



警察の方は、
何かあれば直ぐ近くの交番から出動出来る様に手配もしておく。
安心して生活出来る様必ず守るから。
とも言って下さいました。








その日から、ビンゴ君からの攻撃がウソの様にピタリと止まった。

パトカーがワタシのアパートの近所を毎日毎日巡回してくれ、警察の方が言っていた通り守ってくれていたのです。



それは半年位続き、ようやく安心して睡眠も取れる様になりました。
お腹も空く様になりご飯もおいしく食べれる迄回復して来た。
いつか会えたとき恥ずかしくない自分でいなきゃと、根拠の無い希望で自分を奮い立たせ目標と楽しさを見つけながら生活していました。





この壮絶な経験はワタシを強くした。
今でも「はじめてのおつかい」は涙がでてつらいし、友人の子供の成長を子供達と重ねてみたり。
夢の中で会える子供達は、何年経ってもあの頃のまま。
ママーって声が耳から離れないのです。


時々、思い出す。

どうしようもなく苦しくなって、あのとき子供達の通っているであろう幼稚園の校庭で、小さな足跡が子供達のかもと泣きながら座り込んでた事もあった。
小学校の運動会もこっそり双眼鏡を持って探しまわった事もあった。
友人の計らいで、実は写真もこっそり一緒のフレームに収まった事もある。

子供達から笑顔を奪ったワタシが言うのもなんだが。
諦める事なんて出来る訳が無い。
声こそかけられないが、見守っていたいのです。








ワタシが母親のお腹に居た時。
母親は父親の暴力で別れた。
そして、ワタシが生まれ今の両親にもらわれた。

生まれて数ヶ月で実の両親はワタシを返して欲しいと裁判をしたそう。
祖母が、頑にワタシを離さず育ての親の勝利となり、実の両親は負けた。







不思議と、産みの親と似た様な人生。
実の両親には恨みや憎しみは端からない。
捨てられた事をあまり重くも考えず、それはもう「仕方ない」と、それで片付けられるほど気にもしてないで生きて来た。

だけど。

今となっては、その時の母親の気持ちが少し解った気がする。
きっと、苦しかったろうな。







そして。



ビンゴ君から受けたキズも少しずつ癒え、心にも身体にも余裕が出て静かに日々を送ってたそんな頃。




キッチンの窓から顔を出して外を見ていると、下の道路の脇に白い着物を来た人が立っていた。
どうやら、こちらを見てる様だった。

白い着物?!

ワタシはとうとうお化けを見てしまったと驚いたが、車のヘットライトで照らされたその着物の人は一瞬動き、よく見ると着物ではなく白い帽子に白いTシャツに白いズボンだった。
お化けではない事で安堵したのもつかの間。
その白い人は、太ももにあった手をゆっくり・ゆっくり上へ挙げて、人差し指でワタシを「どーん」と言わんばかりに指した。

それは、笑ゥせぇるすまんと言うアニメの中で出てくる「喪黒福造」の決めポーズの様に、暗闇の中「どーん」とされた。



それは、まぎれも無いビンゴ君だった。



あの頃の恐怖が蘇り息が出来ず、慌てて隠れる様に座り込んでから、もう一度ゆっくり窓から覗くと、もうそこにはビンゴ君の姿は居なくなっていた。


それは一瞬の出来事。


何が言いたかったのか。
何を訴えたかったのか。



それを最後に、ビンゴ君の姿を二度と見る事が無くなりました。




もう、今から16〜17年程前の話。




こうやって、十数年経った今「ストーカーに至る迄」として、この時の出来事を思い出し書き出す事で、色んな事を今になって解る事もある。

当時は、身体も精神的にもかなりしんどくて考えられなかった部分だが、ビンゴ君も必死だったんだと言う事。うまく表現出来ない苛立ち。親との確執。等々。
きっとその渦の中で、必死にもがいていたのかなぁ。。。

当時のワタシには全て理解し包み込む余裕こそ無かったが、互いの掛け間違った愛情表現に積み重なったすれ違いが歪みを生んだのかと思います。


攻撃する側、守る側、阻止する側、導く側


全てワタシの人生の中で、必要な時期に、必要な配置をし、必要な困難を用意し、必要な成長を与える為に通らなければならないと言った、その「試練」と言うものには、当然「もがき苦しみ何かから逃げ挫折する道」と「傷つきながらも立ち上がる勇気を持つ道」との分かれ道がきっとあるのでしょう。

沢山の人達からの助けや助言のお陰で、色んな体験をし行動し納得・理解した上で自ら決断する。その一連で何を得たかを知る事で、ワタシに与えられた何かを、ちゃんと乗り越えられる様に出来ているのかなとも思います。

ワタシが選んだ道には、計り知れない程の大きな代償となってしまったけれど、きっとこれも運命。

ワタシは、ワタシなりにそう理解する事で、全てを受け入れて人生をポジティブに考えれる様になれた気がします。







そんな事を考え、あの日から色んな出来事も乗り越えながら、がむしゃらで駆け巡り気がつけば随分年月が経ってしまった。


現在は、少し小さめだが子供達の部屋も作った持ち家もある。
当然借金だが、目標の「財産」を作るため必死に働いて手に入れた。
再婚はしたが、子供は居ない。

もしも、もしも会えた時には、恥ずかしくない自分である為に、笑顔を忘れず1日1日を大切におばちゃんは日々奮闘しているのです。




上の子は今年20歳。
下の子は今年18歳。


どんな大人になっていますか?
恋はしていますか?


どうか。

どうか、笑顔でいますように。。。





これが、ワタシが経験した「ストーカー編」でした。
15回に渡り、長い長いストーリーにお付き合いして頂き、
ありがとうございました。




最後まで読んで下さりありがとうございます。

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