治らない病気(難病)にかかったと知った時、

悪性リンパ腫(血液のガン)ではないかと分かった時、

私は「死」を身近に感じてパニックになり恐怖しました。

 

 

地面がなくなってどこまでも落ちていくような感覚。

 

目の前が真っ暗になる。

 

頭の中が真っ白になる。

 

そんな感覚に襲われました。

 

最初の1,2か月は本当に「死」を受け入れたくなくて苦しみました。

 

 

私は小さい頃から聖書を読んで育ったので、宇宙万物を創られ、生かされ愛されている。

死んだら天国に行ける。と信じてきました。(いまも信じています)

 

死に対する答えを持っていても実際に自分の「死」に向かい合ったとき、

とても恐怖し悲しくなりました。

 

家族が見ていないところで泣いたり、

遺書のようなものを書いてみたり、

身の回りの物を整理整頓(終活)したり、

 

私なりにもがき苦しみました。

 

「神様、どうしてですか? なぜ病気になったのですか? もう命を取られるのですか?」と祈りました。

 

肝臓の難病の治療を受けるも、一進一退。

さらにはやっぱり甲状腺のしこりが悪性リンパ腫だと分かりました。

 

でも時間が経つうちに

だんだん気持ちが変わってきました。

 

一度死を覚悟し時間がたつにつれ、次なるステージに移った気がしました。

 

死を受け入れることができた気がしました。

 

さて、では残された時間をどう生きるか?

私は何がしたいか?

自分が死ぬときのために何が用意できるか?

 

そういうことが考えられるようになりました。

 

また、こうも思いました。

 

わたしは肝臓の難病で死ぬかもしれないし、

悪性リンパ腫が良くならずに死ぬかもしれない。

再発したりガンの転移で死ぬかもしれない。

 

静脈瘤が破裂してコロリと死ぬかもしれない。

 

コロナにかかって重症化して死ぬかもしれないし、

 

交通事故にあって死ぬかもしれない。

 

地震が起こって家がくずれて死ぬかもしれない。

 

屋根の上の雪が落ちて来て、死ぬかもしれない。

 

・・・・・

 

死は必ずすべての人に平等にやってくる地上最後のイベントなんだなあ。

しかもどう死ぬかは誰にも分からない。(神のみぞ知る)

 

ならば「いつ死んでも良いように、今日一日できるだけご機嫌に、楽しく、感謝しつつ過ごせると良いなあ」と思うようになりました。

 

もちろん抗がん剤の副作用で一日ベッドに沈み込んでいる日もあります。

そういう日はつらい。

 

しんどい、つらい、苦しい、悲しい・・・けれど

私を愛してくださる存在がいる。

やがて私が地上を去るときに、ちゃんと迎えて下さるお方がいる。

 

私が死ぬときには、どんなに親しい家族も友人も一緒について来てはくれないし、

お気に入りの物だって何一つ持っていくことはできないけれど、

私の魂を、責任もって迎えてくださる大きな存在。

「お帰り。地上でよく頑張ったね」と言ってくれる存在。

 

天地を創って、こんなちっぽけな私のことも創って、愛して生かして下さっている神様がおられる。

 

神様のことを宇宙のパワーと呼んでもいいし、天と言ってもいいし、

仏教なら無に帰る?かな?極楽浄土に行くという教えもありますね。

イスラム教では創造の唯一の神ですね。死後天国にいくと説かれています。

 

無神論の人でも

藁にもすがりたくなるとき思わず「助けて!」と呼びかけることがありますね。

その叫ぶ相手です。

 

一人一人の命を大事に思って、ちゃんと帰ってくるのを待っていてくれる存在がいる。

 

そのことを確認するたびに、私の心は落ち着きます。

 

家族にも「また天国で会おうね」と言えるし

「私が死んだとき、悲しみ過ぎないでね。自分の人生を楽しく生きてから天国に来てね」

と話せます。

 

 

もちろん、死の恐怖を感じないわけではありません。

どうしようもなく怖くなる時が時々あります。

 

不安でそわそわしたり、悲しくて涙することもありますが、

最後には心の居場所に帰って来て安心できます。

 

病気はつらいものですが、

死に向き合う時間が与えられたことは自分にとっても、家族にとっても感謝なことでした。

 

 

皆さんはどんな風に死と向き合っていますか?