2020.11.21古田武彦記念古代史セミナーに参加してきました。その2 | 棟上寅七の古代史本批評

2020.11.21古田武彦記念古代史セミナーに参加してきました。その2

●八王子での古代史セミナーが終わって、息子殿ところで孫たちとともに夕食をし、壊れた靴の代わりに息子殿のス二―カーをオサガリしていただき浮く鬼無事帰れました。

翌日は、以前東京在住中、同じ高校同期の旧友M君がメンバーだった横浜の名門テニスクラブで時々コートで球を追っかけていた仲間と久しぶりに、会おうということになりました。

声をかけてくれたM氏が申し訳なさそうに、皆さん色々とこのご時世で、ということで、M君とY君との三人会となりました。来年の事を言うと鬼が笑うと言いますが、M君もやもめ暮らしで、豪州在住の娘夫婦が「こちらで余生を」と言ってくれるし、などどうやら今年で終了となるようです。

 

●このところ小夏日和という異常気象でした。縁あって同じ会社に勤めたOB会の300回目のコンペでした。

気負いすぎて、ボールはうまく飛んだときは、同伴者を驚かせる球も打て、ニヤピン賞もいただけたりしましたが、ミスが多く、2週間前のエイジシュートには程遠く、腰痛のお土産まで背負ってしまいました。まあ、途中でギンナンの実を50個以上拾い集め、相棒殿の土産は出来ましたけれど。

 

●八王子セミナーでの記憶、というか気になったことの一つのことです。

古田武彦師が亡くなって5年になります。2年ほど前、子息の光河さんが「古田史学の会という古田武彦の名前を付けて研究している団体なのだから」という理屈なのか、父の著作を勝手にネットに出している。このようなことはやめてほしい、と申し入れている、などおっしゃっていました。

今回O氏の「そうだったのか邪馬台国」という発表でパワーポイントで投影された画像を拝見してあれっと思いました。

寅七がホームページを始めた頃、当時中学生だった孫にバイト代を払ってイラストを描かせていたのですが、そのイラストにそっくりなのです。そこから古田先生のイラスト部分を切り取って使っていらっしゃいました。

ホームページの道草その10というタイトルで使っているのがそのイラストです。

その孫もアラサーになっています。今回のセミナーで私が出てくるというので、本人もセミナーへ出席申し込みをしようと思っていたけれど、仕事との関係でできない、と言ってきていたのです。

もし彼が来ていたらどんなリアクションがあっただろうか、古田光河さんの気持ちがよく分かりました。

ホームページには、ちゃんとAll right reserved 云々と  大書しているのですが。

 

●新しい歴史教科書(古代史)研究会のホームページのURLは次です。

 

http://torashichi.sakura.ne.jp/