おかんに思う事 | 四児パパのブログ(子育て奮闘記を横でみる)

久々になんで思い出したかな、、


おかんのサーモンが好きって言葉。


昨日のヨメボクのせいかしら。


お盆が近づいてきたから?


田舎の料理旅館で生まれ育ち、おじいちゃんはアル中、肝硬変、オムツの鉄板コース。


おばあちゃんが仲居さんと2人⁈で切り盛り、MAX30人くらいの京都は美山にあるつるやという料理旅館で生まれた。


楠木正成の子孫とか。








今はやってないけどね。


両親は子供が社会人になって結婚して我が子が親になっても親なんです。


私は父親が旧国鉄で特に不自由はしてないが贅沢もしていない。


外食は年数回か、月1回か。曖昧ではあるが記憶にある。


あさくま、アトムボーイ、王将。


近所の喜代ってお好み焼きや、ハイライト。


私が高校の時に店舗付き住宅を購入し酒どころ眞っぺという居酒屋を開店。


おとんの退職金も3000万近くあったよう。


それを担保に何とかやりくりしてたみたい。


専門学校に通わせてくれて、100万以上の海外研修にも行かせてくれた。


おかんは美山の田舎、京北町を含む、絶世の美女だったとか。


中学、高校も成績トップ。


高校の時、8つ歳上のシティーボーイの国鉄の車掌のおとんがナンパしたという話。






先にも言ったが不自由ではないが贅沢ではない。


今の奥さんもそうだが、自分の買い物は後回し。


もっと自分のために使えばいいのに、自分の物を買う前に子供。旦那さん(おとん)。





ケチではなく使う所は使う倹約家。


口の悪さと酒癖の悪さは一級やけど。


で、最初のサーモンのくだり。


居酒屋を始めて数年、順調だった時。


私は会席、寿司、仕出し、ふぐ、すっぽん、はもしゃぶをやってる料理屋で住み込みで修行を始めた。


保険なし、休み毎週水曜日。

30年前、手渡しで16万。


料理の世界ではマシだったかもしれないが国保を家でかけてもらう、超超超超過保護に育てられとりまして。


久々に実家に帰って一緒にごはんを食べに行く時。


学生の頃は何度も言ってるが裕福ではなかったので、あさくまに行っても安いお子様系やフライ系を頼んだり、お好み焼き屋さんでも子供なりにかなり気を使った。


冷蔵庫にある丸大ソーセージは意地でも勝手に食べない、おかんがPTAに行った夕食、妹と二人、おかずがなくなって困ってる妹にデザートにあった🍓でご飯を食べさせたり。

水道水をコップに入れて冷やしたのが大好きだったり。


これは自身が気を使ってた一部の話。


働き始めたが過保護なおかんと常連さんと私で寿司を食べに行った時、おかんが会計するのを知ってていいやつ食べまくった記憶が蘇る。


反動ではなく、少し社会を知って。


おかんはビールとおつまみ、あまり寿司を食べない。


その日はあまり気にしてなかったんだが、数年後、安月給の和歌山のとれとれ市場で働いていた時、久々に実家に帰り、居酒屋の買い物に付き合った時、サーモンが好きって聞いて、雲子は好きなん聞いていたが、とれとれ市場で数々の高級魚、食材を知った私は、


〝おかん、もっとええもん食えよ〟


と、思った。




そのギャップのせいか、おかんらし過ぎたのか、鮮明に覚えてる。


居酒屋をしてるから知らなくはないだろうがこじんまりしたカウンター10席、6人掛けテーブル席を一人でやってる、地元密着の寂しがりが集まる店なんでそこまでの高級食材は使わない、おばんざいや料理旅館つるやの牡丹鍋風やトウバン焼き、ほうば飯で無理やり敷居の高い事はしない。


そんな居酒屋なんで、たまにお客さんに連れて行ってもらう事はあったかもしれんが、そんなに鮮魚にはこだわりがないのだろう。


山の中の料理旅館の出身やし?


私が料理屋から魚屋に行ったのは新鮮な魚を見たくなったからに他ならない。


今は漁師にはなれなかったが釣りで究極の新鮮や美味しさを知ろうとしてる。


何十年も前だが、おかんにもっといいものを食べてほしいと思った。


和歌山に戻って、しばらくしたある日、中々手に入らない20kgクラスの天然本クエを原価で少し分けてもらい送ったり、タラバガニも原価でわけてもらったのを送ったり。


しかし、安月給ゆえ、極々たまにであった。


その後、今の仕事に変えて、すぐに結婚。


転々としてると中々給料も上がらず手取り20万で結婚生活が始まった。


家具や頭金、過保護な両親がざっと700万くらいかな、かなり援助してくれて。


偉そうにサーモン好きと言ったおかんに魚送っていい気になってたのが恥ずかしい。


ありがと、助かった。


で、子供4人、中々余裕がある段階に達せず、他の家庭ではやってる両親にお年玉あげるとかご馳走するとかが全然出来ないまま、7年前におかん、去年おとんが死んだ。


おかんが生きてる最後の方は大分私にも余裕ができみんな連れては外食出来ないが、我が家で出来るだけ美味しいのを用意しようとした。


しかし、その頃には舌癌で食べれなくなっていた。


でも、外食の時は新聞に入っていたサービス券を嬉しそうに見せて家族全員ご馳走してくれた。


全然変わっとらんかったな。


胃癌、肺癌✖️2、子宮癌、舌癌、最後食道癌の疑いが出た63歳、ヒートショックで死んだ。


ま、おじいちゃん(会った事ないけど)に似て、相当酒にやられてた、、

いや、話せない食べれないから酒に逃げるしかなかったのか。


八つ当たりも増えていたし。


今ならもっと理解できたと思うし、病気してなければもっと一緒に美味しいの食べたかった。


最後、ほんまに悪い酒になってたのは、40kg切って本来なら重病人になって寝込んで当然の体調で、それでも介護が必要なのを気力で迷惑かけまいと頑張ってくれてたんやと思う。


おかげで、私も奥さんも介護問題に直面せずにすんだ。


どこまで過保護なんや!


おとんもやけど。


なんか今やったらもっと孝行出来そうやのに死んだ直後はゴメンの涙やった。


もっと自分の為に何がなかったのかな、、


人の為ばっかりやん!




酔っ払ってよくchuされたわ^_^

おとんちゃうよ、私に。


顎割って、舌の奥からほとんど取って、腕の筋肉を舌の奥と縫い合わせ血管も繋げて舌らしきものを形成する。


胃は2/3ない、肺は2/5ない、子宮ない、舌ない。


病気してなければイケイケのおかんはもっと人生を楽しめたのに。


私達家族の不幸を癌て形で一人で背負ってくれたんじゃないか。


私はずっとそう思ってます。


あ、ヨメボクの他にキミスイも良かったよ。